地方都市における内発型産業創出政策の可能性
公共経営研究科 八島 大三
1 はじめに −地域経済政策の構造転換−
地方都市の経済の状況として、大型小売店の郊外立地やコンビニの分散立地などによる市街地商店街の空洞化、財政支出削減に伴う公共事業依存型事業所の廃業など、地場経済は低迷を続けている。また、輸入品の増加等により、農林水産業をはじめ産業全般で低価格競争が進み、体力の小さな地方産業は衰退の危機にある。さらに、経済のグローバル化による国内資本の海外移転や製造業における国内製造ラインの成熟が進むにつれ、自治体における地域経済活性化策としての旧来型の企業・工場誘致は、誘致対象社数自体の減少や誘致自治体間の競争もあり、困難な状況となっている。
他方で、行政が責任を持つべき社会保障のコスト拡大や、教育や環境、保健などに対する住民ニーズの多様化など、行政サービスは複雑化・広範囲化を要求されている。しかし、地方自治体において、財政上、域内地方税の歳入に占める割合は半分に満たないという現状がある。反面、国の三位一体改革に象徴される地方自立化の要請と「小さな政府」の推進は、結果的に地方自治体の財源縮小を招き、「受益と負担」の観点から財政規模に見合った行政サービスの見直しを迫るものである。さらに、公共投資における「選択と集中」を促し、効率的・効果的な行政運営が求められており、公共投資型の「税金で雇用を生む」という従来あった地方の方法論は通用しなくなってきている。地域経済政策において「無いものねだりから有るものさがし」への構造転換が求められている。
したがって、内発型の産業を再生・創出することにより、雇用を生み出すなど、域内での生活関連の経済活動を活発化するとともに、域外からの貨幣を獲得するため、地場産業の他都市に対する差別化やブランド化を進める仕組を整備するという方向に地方経済政策は構造転換しなければならない。でなければ、地方都市は今後、生き延びていけなくなるのではないだろうか。生き延びるとは、市民が平均的満足を感じられる程度の生活、教育、福祉、雇用、文化の機会・サービスを都市から享受できる状態を維持することである。
2 国における地域開発政策
ここでは、戦後日本の地域開発政策のうち、国が主導で行ってきた国土総合開発法に基づく開発政策の検証を行う。
2.1 国土総合開発法と全国総合開発計画
戦後、国内資源の開発を目的に、1950年に国土総合開発法が制定され、特定地域開発による水資源開発事業が推進された。1960年代に入り、池田内閣の所得倍増計画による経済成長政策が進められ、62年、初めての全国総合開発計画が策定された。内容は「新産業都市建設」を中心にすえた拠点開発方式を採用することによって、日本列島上に所得倍増計画の開発拠点としての新産業都市を展開していく政策がとられ、道路、工業用水、港湾といった社会資本への投資が集中され、それをもとにした企業誘致が地域で取り組まれた。しかし、企業誘致に成功したところでも四日市市をはじめとする公害問題など社会的費用が増大するケースが生じるとともに、産業都市へ地方の若年労働者などが就職・出稼ぎで流出し過疎化を助長した。1
2.2 新全国総合開発計画と三全総
1969年に新全国総合開発計画がつくられる。当時、日本は、貿易立国政策を進めるなかで国際収支の黒字基調が定着する段階に入っていた。そこで、エネルギー資源は石炭から石油に切り替えが進み、農林水産物は積極的に輸入する政策がとられた。2休耕地を中心に土地の流動化をすすめ、工業基地化や都市化、レジャー基地化する政策を図り、これらを高速交通網によって結ぶことによる日本列島改造が進められる。その後オイルショック、食糧危機を経て、日本は低成長の時代、構造不況の時代に移行する。
1977年に策定された第三次全国総合開発計画においては、それまでの開発重視から環境重視への転換が図られつつも、新全総が盛り込んだ大規模公共事業、交通ネットワークの建設等は継承されていた。「総合安全保障」を重視した点も特徴であった。開発方式としては河川の流域圏を基盤とした「定住圏」構想をうちだし、自然と調和した人間の居住空間の形成が謳われたが、それまで日本経済をリードしてきた重厚長大型の鉄鋼、石油化学等の重化学工業に代わる牽引となる産業の展望が見出せていなかった。
2.3 プラザ合意と第四次全国総合開発計画
1980年代に入るとテクノポリス政策が通産省(現・経済産業省)から提起される。新たな産業の展望という点では、米国のシリコンバレーでコンピュータをはじめとする先端産業が成長をし始めていた。日本においてもこの電子機器やバイオテクノロジー等の先端産業の立地の動きが現れつつあり、新しい先端産業の立地条件を整備する産業立地政策が進められていく。その後、輸出推進によって貿易黒字を稼いでいくという低成長時代の外需中心の政策が、米国との通商摩擦を引き起こしていく。これを回避するために「内需拡大」を行う必要に迫られ、1986年日米首脳会議で公約された経済構造調整政策は、公共投資630兆円の内需拡大計画や、海外直接投資を促進する一方で、鉱産物・中小企業性製品・農作物の輸入促進とつながっていく。このような中、「多極分散型国土の構築」を掲げた第四次全国総合計画が1987年に策定された。内需拡大政策として都市再開発とリゾート開発がすすめられ、リゾート開発は、当時の日本の長時間労働が批判される中で余暇時間の拡大、余暇ビジネスの育成を目標に掲げ、法律も制定し、全国的に展開されることとなる。こうした全国いたるところでの開発にあおられる形で、バブル景気が地価高騰をともないながら出現し、併せて東京への一極集中が加速する。他方、ドル安・円高で、鉱産物や中小企業が生産する工業製品(以下、中小企業性製品)、農産物の輸入が拡大し、地場産業や中小企業は大打撃を受ける。3
2.4 バブル崩壊と第五次全国総合計画
1991年、バブル景気は崩壊し、さらに海外への直接投資が本格化するなかで、日本経済
1 森忠彦/2005/新しい社会基盤整備計画の理念とその実現化に関する研究/日本大学大学院総合社会情報研究科紀要/3頁
2 岡田知弘/2005/地域づくりの経済学入門 地域内再投資論/現代自治選書/75頁
3 〃 79頁
は本格的な産業空洞化現象を生み出すこととなる。財政危機も深刻化する中、1998年に策定された第五次全国総合開発計画では、「21世紀の国土のグランドデザイン」という呼称が与えられた。その計画のなかで基幹事業として位置づけられたのは、東京一極集中を緩和しつつグローバル化をにらんだ、国内に複数の国土軸を確立するインフラ整備であった。複数の国土軸を横につなげる地域連携軸を配置することによる「多軸型国土構造の形成」を計画の目標にすえた。高速道路、高速鉄道、あるいは空港建設を国際化と結びつけた大型公共事業を展開した。また、都市においてはリノベーション(再開発)を重視し、農村においては多自然居住ということで、都市と農村の交流拠点を整備していく政策がとられた。さらに、財政制約下のもとで、公共投資を進めるために、PFI等による民間活力の導入を積極的に政策に位置づけた。
2.5 地方分権と国土形成計画法
2000年地方分権一括法により地方分権の流れが強まり、2001年国土交通省が誕生する。そして、2005年7月、国土総合開発法を改正する国土形成計画法が策定される。この法の目的は従来の開発基調から国土の利用・保全に力点をおいたものであった。2004年に発表された国土審議会調査改革部会報告において、今後の日本の課題として挙げているのは、@少子・高齢化の進行、Aグローバル化、B環境問題、C地方の自立的発展、D財政制約である。同報告では、5つの課題を柱にした上で、「二層の広域圏構想」を提起している。二層のうちの上層は地域ブロック構想であり、これは人口ベースで700〜800万人単位で、道州制の道州に相当する範囲である。下層は生活圏と呼ばれている。この生活圏は、市町村合併による広域自治体の規模とされ、ほぼ30万人程度が想定されている。地域ブロックにおける政策としては「選択と集中」が強調されており、港湾・空港・高速道路網に重点投資を行うものとされている。また、生活圏に関しては「都市のコンパクト化」論、あるいは「ほどよいまちづくり」を強調している。つまり上層の地域ブロックには国家としての公的資金を集中して投下しながら、下層の生活圏に関しては継続的な発展を自主的に行う自立自助を促しているものと考えられる。
3 国による地域開発政策の限界
以上見てきたとおり、国土全体の計画では、拠点開発方式により指定都市が工業開発され、道路や鉄道、空港等の大規模開発が促進された。結果として、都市・地域の人口や経済の規模において、過密と過疎など地域的不均衡等が極めて激しくなっており、国内においては産業の空洞化がすすみ、人口減少や経済低迷により住み続けることができない地域が地方を中心に広がってくる可能性がある。そうであるならば、開発に伴うインフラ整備型の公共事業による資金の配分だけでは地方経済の活性化には自ずと限界があり、住民の生活領域としての地域の持続的発展を重要視した地域に根付いた経済政策が必要なのである。
4 地方における企業誘致型産業政策の限界
多くの自治体で、企業誘致のための条例をつくり、補助金や税の減免、インフラの整備等、各種の優遇措置を講じている。都市間における企業誘致競争も、巨額の財政を投入しながら展開されている。1996年の経済企画庁調査局発行『地域経済レポート‘96』では「企業は立地環境が好ましくなければ、他地域へ、あるいは国境を越えて、その施設を移動していくので、これからは、企業が地域を選ぶ時代である。国と国のレベルでも、企業が国を選ぶ時代になりつつある。企業の立地をめぐって、地域間競争が一般化する時代である。国と国、地域と地域でいかに魅力的な企業立地条件を提供するかということが問われている」と述べている。企業から選択される地域とは、企業の都合により立地も撤退も起こるということである。外部の企業に選んでもらう産業政策では、一部の企業の利益になったとしても、地域産業の空洞化問題そのものを解決することにはならない。たしかに、地方都市における既存産業は雇用源としては将来的な見込みが期待できない状況があり、外部からの企業の誘致は、雇用対策及び経済対策としては短期的には即効性のある政策だといえる。
経済産業省『平成16年度工場立地動向調査結果(速報)』の敷地面積1000u以上の工場立地動向から、日本の工場立地は、高度成長期の1960年代が年間約6,000件、バブル期の80年代が約4,500件という2つのピークがあるが、ここ数年は年間約2,500件と大きく落ち込んでいる。バブル後の設備投資抑制や生産ラインの海外へのシフトの影響が強いと思われる。また、立地場所も静岡、群馬、兵庫、愛知などの集積の進む県とそうではない地域との差が大きい。交通インフラや既存産業集積の度合いにより、立地率において、生産条件の有利・不利が厳しく存在しており、一部の立地好条件の都市だけが勝ち組となる可能性が強い。誘致企業の立地確立は、地方の僻地になればなるほど、条件不利となり、工業団地の造成整備や立地優遇制度を創設しても、誘致の確立は大変低いといえる。また、生産ラインの海外シフトや経済環境の変動により立地工場・企業の閉鎖・域外撤退も現実的に起こっており、企業誘致政策による産業振興は、地域における中長期的な地域経済政策としてはその効果において限界があるといえる。
5 内発型産業創出の可能性
これまで述べてきたように、地方経済政策の構造転換の要因としては、第一に、地方交付税の見直しなどに見られる地方分権改革の進展、国の国土計画における全国均衡発展から自己責任発展への方針転換、公共事業投資の継続的減少など、国の開発政策が限界に達したことがあげられる。第二に、経済のグローバル化による生産ラインの海外移転などによる工場・支店の国外流出や、海外生産品の輸入促進により、生産需要自体が減少し、その少ない生産ライン投資も好条件の特定地域に偏在していく傾向が強くなるなど、地方都市において雇用創出等に即効性のある企業誘致政策にも限界が生じている。
企業誘致とは外来型の発展を目論む政策である。それに対し、内発型の産業創出による発展は、地域に根付く地場産業や文化・資源と住民の意志や伝統を重視するものである。外来型の発展は、ともすれば地域文化や自然環境について配慮しないが、内発型の発展は地域の伝統・文化や自然と調和する可能性が高いのである。
地方都市おける今後の持続的発展可能な地域経済を支える政策には、国に依存しない自治力を基本とした地域経営の視点と、地域がもともと保持している地域資源の利活用による希少性があり差異化された新しい産業開発・技術開発が求められているのではないだろうか。つまり、地域住民が主体となった内発型の産業創出が必要となってくる。
6 「SOHO CITY みたか構想」に見る内発型産業集積への挑戦
ここでは、内発型産業創出の実践事例として東京都三鷹市の取り組みを検証することにより、内発型産業創出の可能性にについて研究していく。
次の4つの視点から検証することとする。
@域外からの外部資本の導入に頼らない内発型の産業振興が成功しているか?
A地域資源が利活用された産業振興となっているか、継続、循環の状況は?
B地方自治体の産業振興政策として、第三セクター方式の民活方法は成功しているか?
C結果的に、地域経済の活性化につながったか。雇用機会の増加、税収の増加の達成は?
6.1 三鷹市の概要
三鷹市は、人口約16万人、面積16.50ku、東京都のほぼ中央に位置し、区部に隣接する近郊住宅都市である。戦後、急激な人口増加に対応するため、教育施設、上・下水道整備、ごみ処理等の建設などが行政課題となり、1973年には全国で初めて公共下水道普及率の100%を達成した。これらの事業を実施するにあたり、計画行政を先駆的に取り組むとともに、受益者負担金制度等の企業性の導入や職員の少数主義などによる行財政改革の徹底を図っており、その精神は今も引き継がれている。
社会基盤が一定程度整備され、都市としての成熟期を迎えた昭和50年代以降は、市内に設定した7つのコミュニティ住区にコミュニティセンターを建設し、市民参加の都市型自治を推進することになる。また、1984年から86年にかけては、高度情報化社会の到来に向けたINS(Information Network System)実験参加し、キャプテンシステムを利用した地域行政サービスなどの試みにより全国の自治体に先進事例を提供した。
三鷹市の財政特徴としては、歳入のうち地方税収入が約60%を占め、交付税の占める割合は0.1%である。理由は、高額所得のサラリーマンが多いからであり、企業城下町と違い、住民税収入が大きく安定している。
自治体としての課題は次のとおりである。
@少子個高齢化
人口移動が少ない(70%が固定)ことによる、高齢化の速度が速い。1年に0.7歳年をとり10年後には7歳も高齢化してしまう。
A工場集積の減少
市内有力工場の移転が続出し、大半の工場跡地はマンションが建設され、一層の住工混在を引き起こすとともに、雇用先も減少している。
B商業の空洞化
近隣市の大型スーパーマーケットの進出により、三鷹駅前(中心市街地)の商業の地盤沈下が起きている。
C法人税収入の減少
土地利用の問題として、住宅系が約90%であり、新産業活性化に向けた政策が必要。
以上のような課題に対して、三鷹市では「地域経営」の視点から議論がなされた。
地方分権とは「自立する」ということであるため、自立には損益のリスクを負担する経営的発想が必要であり、地域を経営するとは、政策に関わるお金を、自分たちで稼ぐことである、という考え方にいたった。そこで、一番の問題は、どう稼ぐかである。キーワードは、次世代産業、雇用先確保、税構造変革があげられた。その結果、住宅都市と共存できるSOHOを含めた新都市型産業の育成が必要である、という結論に至ったのである。
なお、SOHOとは「個人もしくは少人数で、小さな事務所または自宅をオフィスにして、情報機器等を活用して営業している人々及びそれに向けて起業しようとする人々」を意味する。1
6.2 新都市型産業の創出 ―SOHO CITY みたか構想―
都市における製造業はイメージが悪く、産業政策を進めるためには新しいロジックが必要であった。そのロジックとは高齢化社会に対応した、現役引退者の地域内での居場所づくりであり、自分で自分を養うためのビジネスを起せる環境づくりであった。
ここで、SOHO導入が有利であるまちの傾向を示したデータがある。三鷹市における事前調査として、三鷹駅前のマンションにテナント入居している企業(50社)の立地理由を調べた。結果は次の4点に集約された。2
@都心より家賃が安い。 ・・・ 地代の優位性
A三鷹駅にはJR線、営団地下鉄の3線が入っている。 ・・・ 交通の優位性
Bハイテク工場の集積が八王子にありそのハブ的機能がある。・・・ 立地の優位性
C技術キャリアOB層、高学歴主婦層など人材が厚い。 ・・・ 人材の優位性
1997年、三鷹市のシンクタンク「まちづくり研究所」から「情報都市みたかへの提言―SOHO CITY みたか構想―」が提言された。この構想は、派手なハードの構想ではなく、小さな郊外都市が「人」という地域資源を最大に生かした構想であった。また、三鷹市は「SOHOはSOHOだけでは大きくならない」と考え、SOHOの支援団体「SOHO CITY みたか構想推進協議会」を設立し、相談・人材情報・各種情報提供を行った。
そして、この構想の中心的役割を担う組織として、98年に施行された「中心市街地活性化法」のTMO機関(Town Management Organization)の認定を受ける、株式会社まちづくり三鷹を第三セクター方式で1999年9月に設立した。
表:鰍ワちづくり三鷹 会社概要
会社設立日 |
平成11年(1999年)9月28日 |
事業開始日 |
平成11年(1999年)10月1日 |
資本金 |
2億7250万円 |
所在地 |
〒181-8525東京都三鷹市下連雀3−38−4三鷹産業プラザ |
社名 |
株式会社まちづくり三鷹 |
株主 |
三鷹市、三鷹商工会議所、ほか11企業 |
取締役・監査役 |
10名(市、商工会、青年会議所関係者等) |
従業員 |
56人(市派遣6名含む) |
管理施設 |
SOHOインキュベーション施設 5箇所 ※入居SOHO事業者 60社 |
H16年度決算 |
営業収益838,840千円、営業費用813,052千円 当期純利益13,975千円 |
1 2004/Mitaka ism=三鷹からの発想/鰍ワちづくり三鷹/13頁
2 〃 12頁
6.3 「SOHO
CITY みたか構想」の実践に対する評価等
ここでは、「SOHO CITY みたか構想」について、関係者の分析、声を紹介する。1
安田三鷹市長はSOHO戦略ビジョンとして、「SOHOが集積することにより、商業や工業等の既存産業とのコラボレーションによる新産業の創造が図られ、地域雇用の充足、税収の確保など財源の安定化に寄与していきたい。・・・(略)・・・鰍ワちづくり三鷹が発足してから約3年になるが、行政の様々な分野での協働が進み、市民や企業から信頼も得ている。民間の発想とスピードをもって事業を行うなど、たくましい企業に成長してきていると感じる。今後もまちづくりのパートナーとして期待している。」と語っている。
また、経済産業省アジア大洋州課長の杉田氏は、まちづくり三鷹が進める“新しい公益”の3つの機能として、「鰍ワちづくり三鷹は、三鷹市のアウトソーシングとして公共サービスの民営化を推進する機能、市民のまちづくり活動支援の機能、SOHOの推進によるインキュベーションマネジャーの3つの機能を担っていると思う。従来リサーチパークなどが担う産業振興の役割を、まちづくりと連携して進めている新しい例である。これからの産業は、大学との連携を柱に、地域で職住近接型産業のあり方がキーワードとなる。その意味で、三鷹市と鰍ワちづくり三鷹の取り組みは、地域においてのトータルコラボレーションによる新たな産業振興といえる。」と単なるインキュベーション施設を越えた、まちづくり支援機能に注目している。
さらに、SOHO CEOの齋藤氏は、「三鷹市は、最も早くから民主導の姿勢を打ち出した都市である。とかく官主導に走りがちな自治体が多い中、民間主導のまちづくりをいち早く実践している。その姿勢は鰍ワちづくり三鷹に現れている。我々と同じ経営者の立場で苦労を経験し、民間のルールに基づいた上で経済活性化を進めている点は、全国の自治体に見習ってほしい先進的モデルといえる。しかも大規模な企業中心の活性化策だけでなく、小さなSOHOという個人及び小規模事業所自立を支援していこうという視点は、まさに小さな大企業の誕生を促進し、雇用の多様化に対応した次世代の働き方を暗示するものである。」と、都市の特徴と個人のライフスタイルのマッチングに注目している。
最後に、鰍ワちづくり三鷹代表取締役・三鷹市助役の内田氏は「“助役”と“社長”というまったく違う法人の経営に関わってきた。市役所では安全管理、危機管理の価値基準となるが、まちづくり三鷹ではどうやってビジネスチャンスを作るか、利益をあげようかと“待ち”から“攻め”の経営を行っている。2つの経営をすることで、新しい視点が生まれてくる。自治体事業に民間企業のとしての視点を加え、市の施設管理や産業集積事業等を効率的に実施するとともに、そこに携わる人材をうまくワークシェアリングするような活動になれば、行政のスリム化と雇用創出につながる。その刺激を受けて行政も活性化する。従来の第三セクターと違い、行政と民間のいい面が発揮できた。行政の未利用地を駐車場や自転車置き場に利用するなど行政の資源をうまく活用でき、またそこから収入もあがるという行政としても民間としても成果が上がった。」と、行政機能と民間機能の連携による有効性を評価している。
1 2004/Mitaka ism=三鷹からの発想/鰍ワちづくり三鷹/2,6,7,8頁
6.4 分析
ここで、鰍ワちづくり三鷹を通した内発型産業政策について分析を4つの視点から分析したい。
第一に、域外からの外部資本の導入に頼らない内発型の産業振興が成功しているかについてである。当該地域は、既存工場の撤退が起こりつつ、住宅系用地が市域の9割占めていることから、工場誘致等の外部資本の導入だけでなく、市民1人から起業できる環境として、SOHOオフィス及び活動支援を整備した。オフィス利用事業者は当初9社から現在60社となり、在宅まで含めたSOHO事業者は2,000にのぼる。1地場の住民が自己の経済資源を用いて物販やソフト開発産業を集積させたという点では成功したといえる。
第二に、地域資源が利活用された産業振興となっているか、その産業は今後も継続していくかという点である。オフィス利用事業者の業務内容を見ると、「IT・通信関連」が17社、「経営コンサルタント・事業支援」11社、「素材開発・設計・製作・販売」6社、「技術コンサルタント」5社、「広告デザイン」3社、「ネットショップ運営」3社、「商品デザイン」2社、「医療機器コンサルタント」2社、「まちづくり関係」2社、「映像関係」社、「環境ビジネス」2社、「旅行業」・「インテリアコーディネーター」・「海外貿易」・「行政書士」各1社 となっている。「IT・通信関連」と「経営コンサル・事業支援」が大半を占めていることがわかる。2したがって、三鷹市の特徴として、属人的技術を活かした起業が促されているということである。住宅地であり域内のキャパシティや自然環境等の小資源を考慮すれば、ソフト技術型の業務内容になるのは納得できる。特に、企業OBや若年起業家が自己のもつスキルを生かした起業に結びつく可能性が高い。なお、HP登録企業は221社、IT・通信関連などが多い。
第三に、地方自治体の産業振興政策として、第三セクター方式の民活方法は成功してい
るかという点である。組織の営業状態としては、平成16年度営業収益838,840千円、営業費用813,052千円、当期純利益13,975千円を達成しており、黒字経営を続けている。また、三鷹市の行財政改革と連動した形で、公社が管理していた土地や建物の維持管理から、SOHO支援事業、子育て支援など、行政のアウトソーシングできるサービスを効率的・効果的に運用している。遊休土地の駐車場活用やSOHO事業者からの賃貸借料など、委託料以外の安定収入も営業収益安定の要因となっている。ただし、第三セクター方式という組織自体の経営は一応の合格点をあげているとしても、SOHO事業所をインキュベートし、結果的に三鷹市の地域経済を活性化したという目に見える成果は把握できておらず、3さらなる追跡調査を必要としている。
第四に、結果的に地域経済の活性化につながったかという点である。SOHOという新産
業の育成・支援では一応の成功をみている。人口も緩やかではあるが増加しており、中心
市街地活性化の諸施策とともに、まちづくりに対する意識は上向いている。しかし、工場
1 取材談話/鰍ワちづくり三鷹事業部総務グループマネージャー岡本弘氏より
2 「2004/Mitaka ism=三鷹からの発想/68〜73頁/鰍ワちづくり三鷹」のデータを集計。
3 「2005/三鷹を考える論点データ集/三鷹市」のデータから、個人及び法人住民税収入の減少傾向が続いており、工場数、商店数も減少している。また、岡本氏の取材においても、日本経済の景気変動の影響もありSOHOと地域経済活性化の因果関係の分析結果は出ていないとのこと。
数、小売店数ともに減少は続いており、地方税収入も減少してきている。1税収入の減少は、高齢化の進展による影響もあると思われる。
国全体の景気変動の影響もあり、SOHOという小規模事業所の集積だけでは、既存工場・小売店の撤退を穴埋めする経済効果を期待するには、現状規模では困難である。
ただし、小規模SOHOがその企業成長とともに今後の経済効果を増す可能性もあり、成長する企業をいかに、地元にとどめておけるかが今後の課題である。
7 まとめ
本論分では、地方における国主導の公共事業・公共投資や自治体の企業誘致による雇用対策などの地域経済政策では、一つひとつの地域が輝く保障がなく、国に依存し「くじ」に当たるような場あたり的な政策として、その限界を明らかにした。
また、三鷹市の取り組みでは、少子高齢化と既存産業の衰退を背景にした、まちの一人ひとりが主役となれる内発型産業の取り組みを事例として取り上げ、第三セクター方式という使い古された民間活力の手法でも運用の仕方さえ工夫すればまちづくり及び産業振興の核となれる可能性を検証した。
はじめから「トヨタ」は生まれないのであり、そのようなエクセレントカンパニーを育成する環境整備が必要であると思われる。内発型の市民起業による産業振興のねらいには、二通りあると考えられる。一つは、個人の持つ経済資源を活用して自己の経済欲求レベルに合わせた簡単に経済活動ができる環境を整備することによる市民経済活動の活性化であり、もう一つは、将来の可能性ある大企業の卵を地場産業として粘り強く支援していくことある。
1 「2005/三鷹を考える論点データ集/三鷹市」から、人口は10頁、工場数及び商店数は50〜53頁
引用・参考文献
・岡田知弘/2005/地域づくりの経済学入門 地域内再投資論/現代自治選書
・関満博/2004/岩波講座 都市経済と産業再生 都市における「ものづくり」/岩波新書
・森忠彦/2005/新しい社会基盤整備計画の理念とその実現化に関する研究/日本大学大学院総合社会情報研究科紀要
・2004/Mitaka ism=三鷹からの発想/鰍ワちづくり三鷹
・2005/三鷹を考える論点データ集/三鷹市
・経済企画庁調査局発行『地域経済レポート‘96』
・経済産業省『平成16年度工場立地動向調査結果(速報)』
取材
・2006.5.29/鰍ワちづくり三鷹事業部総務グループマネージャー 岡本弘 氏