自治制度演習レポート
公共経営研究科 塚田大海志
「沖縄開発庁についての批判的考察―「沖縄州」の可能性を模索する―」
はじめに
2002年に「沖縄振興計画」が作成された。向こう10年の沖縄振興の羅針盤となる総合計画である。過去30年、三次にわたる「沖縄振興開発計画」を見直した同計画は、「開発」の文言を削除し、市民参画・選択と集中・連携と交流を柱に「民間主導の自立型経済の構築」を目指している。だが、一方では、沖縄振興計画の管理実施機関である内閣府沖縄担当部局が存在する限り、沖縄の自立的発展はあり得ないという意見も少なくない[1]。
本クールでは、他省庁の総合調整役として君臨する「沖縄開発庁(現・内閣府沖縄担当部局)」の構造的問題についての分析を試みる。開発庁方式の継続採用に疑問を投げかけ、そのあり方を問い直すことが狙いである。また、批判に留まることなく、昨今導入が検討されている「道州制」に開発庁方式から脱却するための可能性を見出していく。
「開発庁方式」についての批判的考察
1、沖縄開発庁の存在意義
はじめに、沖縄開発庁の設置理由から、その存在意義を確認しておきたい。
「沖縄が戦争で甚大な被害をこうむり、かつ、長期間米国の施政権下にあった事情に加え、本土から遠隔の地にあり、多数の離島から構成される等各種の不利な条件を担っていることに 深く思いをいたすとき、まずその基礎条件を整備することが喫緊の課題であり、(中略)均衡ある振興開発をはかることが必要であると考えます。今回、沖縄開発庁を設置しようとする趣旨は、このような沖縄の振興開発に関する国の諸施策を積極的に推進し、豊かな沖縄県づくりに政府が直接の力添えをするための体制を整備することにあり、このため、総合的な計画の作成並びにその実施に関する事務の総合調整及び推進に当たることを主たる任務とし、国務大臣を長とする沖縄開発庁を総理府の外局として設置しようとするものであります」。 (「沖縄開発庁設置法案提案理由説明」衆議院内閣委員会、1971年11月10日)
上記の答弁から読み取れるのは、歴史的・地理的特性を考慮した場合、沖縄の発展には国の力添えが不可欠だということだ。また、三次にわたる沖縄振興開発計画の基本目標は、「沖縄の特性を生かしつつ、本土との格差是正を図り、自立発展の基礎条件を整備する」ことであった。「基礎条件を整備する」とは、社会資本を中心とした生活基盤の整備である。社会資本に関しては、沖縄が全国平均、あるいはそれ以上に整備されてきた点で、開発庁の功績は認めなければならない。一方、基礎条件を整備する過程において、沖縄が開発一辺倒、公共事業依存型の経済構造に陥ったことも否めない。
2、沖縄開発庁が抱える構造的問題
本土復帰以来、沖縄開発庁を通じて投入された「沖縄振興開発事業費」は、2003年までに7兆3,389億円にも及ぶ。驚くことに、投入された莫大な資金の92.3%に当たる6兆7,716億円が、主に道路、空港、港湾などの整備に充てられてきた。それでも、産業らしい産業が育たず、税収面でも自主財源が二割程度に過ぎないのが沖縄の現状である。これについて、百瀬恵夫と前泊博盛の共著である『検証「沖縄問題」』は、「開発庁方式による沖縄振興開発は、「高率補助[2]」による政府財政への依存を高め、「財政依存」「公共事業依存」の依存型経済の構造化も招いてしまった[3]」と指摘している。
沖縄開発庁は、沖縄振興開発計画を策定する主管庁である。同計画は、県内自治体・各種団体の意向を踏まえた上で沖縄県知事が案を提出し、内閣総理大臣が決定することになっている。ただし策定過程において、国の諮問機関である沖縄振興審議会と関係行政機関は、計画に対して意見を述べられるシステムとなっており、ここで沖縄開発庁のイニシアチブが発揮される。そのため、沖縄県庁が作成する計画案の採択の可否は、事実上開発庁の手に委ねられている。
また、沖縄の場合、開発庁の地方支分部局である沖縄総合事務局に各省庁の業務が統括され、沖縄関連予算は同局に一括計上されている。予算の一括計上のねらいは、中集権体制による縦割り行政のあり方を否定し、省庁間の横断を可能にする予算措置を講じることにあった。だが、出先機関の統括は、沖縄県庁の予算折衝の矛先を計画採択権のある開発庁へと集束させた。設置当初の意図に反して、今日の内閣府沖縄担当部局は、陳情政治による公共事業依存型経済の温床となっている。
3、地方分権に反した内閣府沖縄担当部局の誕生
2001年1月、沖縄開発庁は「橋本行革」の一環であった省庁再編に伴い廃止された。その結果、開発庁の業務を引き継ぎ、内閣官房沖縄問題担当室の業務を加える形で「内閣府沖縄担当部局」が設置された。同部局の誕生によって、国がより深く沖縄問題にコミットできる環境が出来上がったといえよう。設置に際して当時の地元メディアは、沖縄振興政策に限らず、従来開発庁が所管外としてきた在沖米軍基地の整理縮小や返還軍用地の跡利用など、基地問題の抜本的な解決力を有するものとして期待を寄せている[4]。だが、実情は手放しに評価できる機関とは呼べない。それは、沖縄開発庁が廃止に至るまでの背景、特に1995年の少女暴行事件が発端となって浮上した「普天間飛行場移設問題」に対する国の対応を考えれば明らかである。
事件以来、内閣の中に「沖縄米軍基地問題協議会」、「沖縄政策協議会」[5]が設置された。沖縄開発庁が基地問題に対して、積極的に関与する機能を有していないことがその理由であった。しかし、官房長官が「沖縄担当大臣」を兼任して業務に当たることは、国が処理するべき安全保障の問題と沖縄が主体的に取り組むべき経済振興の問題を確実にリンクさせた。その証拠に、96年以降の沖縄には米軍基地を維持するための手段として、島田懇談会事業[6]や北部振興策事業[7]など新たな沖縄振興開発事業費が投入されている。在日米軍に対する基地提供義務[8]を脅かす問題が日本政府の政治課題となったとき、経済振興という地域政策によって地元自治体を懐柔する先例が確実に存在しているのである。
「沖縄問題」は、政治・経済・環境・文化等、米軍基地から派生するあらゆる問題が直接・間接的に連関して形成されている。米軍基地が自立的発展の弊害であるならば、国が処理するべき問題と沖縄が主体的に取り組むべき問題を切り離し、「明確な」所管事務の住み分けを行うことが緊要である。
「開発庁方式」から脱却するために
1、道州制に光明を見出す
第28次地方制度調査会では「道州制」が重要な論点となっている。第27の同調査会では、「道州制の導入に伴い、国の役割は真に国が果すべきものに重点化し、その多くの権限を地方に委譲する」ことを前提に最終報告[9]がまとめられた。以下に詳細を見てみよう。
「国は現行地方自治法上、(a)国際社会における国家としての存立に関わる事務、(b)全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動又は地方自治に関する基本的な準則に関する事務、(c)全国的な規模で又は全国的な視点に立って行わなければならない施策及び事業の実施などの役割を担うこととされているが、道州制が導入された後は、国の役割は重点化され、(a)、(b)のほか(c)のうち限定された一部に縮小することになる」。
「地方財政制度については、道州の権限に応じて自立性を高めることを原則とする。また、自立性の高い道州制を実現する観点から、自主財源である地方税を大幅に拡充することを基本とし、道州の規模、権限、経済力等を踏まえ、新たな財政調整の仕組みを検討するものとする」。
最終報告における提言を沖縄の視点に立って考えてみよう。(a)については安全保障との関連から基地問題、例えば米軍基地の整理縮小や米軍の引き起こす事件・事故への対応が該当するだろう。これに関しては、道州制導入後も引き続き国の事務であって当然である。他方、(c)については、沖縄振興計画の実施が「限定された一部」に含まれるかどうか、すなわち、地方財政制度の項にある「経済力等」の解釈における沖縄の位置付けが今後の焦点になるだろう。
昨今の三位一体改革による補助金削減を危惧する稲嶺恵一・沖縄県知事は、沖縄振興計画を盾に「沖縄に対する特段の配慮」を獲得することに躍起である。だが、道州制の導入を視野に入れた現行の改革を「沖縄切捨て」とは考えず、「自立」へのチャンスとして理解すべきではないか。現に第27次地方制度調査会で副会長を務めた西尾勝・国際基督大学教授は、沖縄自治研究会の講演において「沖縄が沖縄振興特別措置法などの指定単位になりにくいデメリットがあるものの、他の道州以上の権限を持つ「自治州的な存在」を目指すことも現行の制度で可能である[10]」と述べている。
2、自治州としての「沖縄州」の可能性
かつて、復帰前後の沖縄には複数の「沖縄自治州」構想が存在した[11]。また、大田昌秀県政下では、沖縄の「全県フリートレードゾーン」化を試みる「国際都市形成構想」の文脈において「沖縄県を一ブロックとして位置付け、地域国家的な扱い方をしてみてはどうか[12]」との発想があった。国際都市形成構想は「フィージビリティの全くない絵空事」と揶揄される一方で、「初めて県民が自ら知恵を出し、沖縄の未来を描き出した[13]」との評価も受けている。稲嶺県政の誕生とともに構想は立ち消えになったが、事業計画の多くは今日の沖縄振興計画に脈々と受け継がれている。地方分権時代が到来し、国が本格的に道州制を検討し始めた今日、「沖縄州」の実現可能性は十分にある。
「沖縄州」の可能性を模索するにあたって、興味深い研究がある。スコットランドの分国的改革(1999年)に沖縄の自治州制度の視座を求めている島袋純・琉球大学助教授の研究だ。沖縄自治研究会の発起人でもある同助教授は、スコットランドの経験が生かせる理由として、「沖縄開発庁長官・沖縄開発庁・国のブロック出先沖縄総合事務局という、議員内閣制の中で地域担当大臣と地域担当省と、ほとんど同じ仕組みを一世紀以上保ち続けてきた[14]」ことを挙げている。また、スコットランド分権を推進したイゾベル・リンゼイ氏によれば、スコットランドは沖縄同様「産業基盤が弱いため、経済問題が一般的な不安要因であった[15]」という。
では、スコットランド分権とはどのようなものであったのか。前述・島袋助教授の分析に沿って見ていきたい。まず、国防、通貨、外交・安全保障を除く権限と組織・人員は、ほとんどそのまま新しいスコットランド議会配下の議院内閣制をとるスコットランド政府に引き継がれた。特筆すべきは予算だろう。それまでスコットランド省は、大蔵省にスコットランド予算を一括計上してきた。それが改革によって、大蔵省への一括計上を取りやめ、国家予算のスコットランド取り分として大枠10%ということだけ確定固定し、用途を自由にして財政移転しスコットランド議会・政府に予算編成が委ねられた。このことは、同じ一括計上方式を採用している内閣府沖縄担当部局にとって、十分に検討する価値があるだろう。
しかしながら、「沖縄州」の導入を実現させるためには、「複雑に絡まった基地問題と地域振興政の関係をどのように解きほぐしていくのか」が、最大の課題として横たわっている。これについての大まかなビジョンを示すことによって、本稿の結びとしたい。
結語
沖縄には基地問題を扱う行政機関として、防衛施設庁の出先機関である那覇防衛施設局がある。道州制導入後は、まずここに「基地問題」に関する全ての事務の機能を集約し、内閣府沖縄担当部局は廃止すべきである。基地関連の補助金については、特定防衛施設周辺調整交付金(環境整備法9条)や民生安定施設助成補助金(同8条)などを抜き出して、基地交付金に統括すべきだ。そして、日米安保体制堅持のために沖縄が被っている代償としての基地交付金は、基地周辺住民の生活を保護するためにも削減の対象としなければ良い。だが、これだけでは、防衛施設庁関連補助金の「地域振興策」としての性格を拭いきれない。基地交付金それ自体については、うなぎ上りに増加していく「思いやり予算」との関係を含めて議論されなければならないだろう。これらの問題については、今後より深く研究に取り組んでいく必要がある。
一方、目に見えない補助金、すなわち「沖縄振興開発事業費」については、予算の「沖縄州」取り分として確保できよう。ただ、一方的な事業費の増加を防ぐ上でも、計画の進捗状況、有効性を「行政評価」を用いて測るなどして、弾力的な予算措置が講じられるようなシステムを構築する必要がある。現状から言えば、このようなシステムの下では、沖縄取り分の予算は減少の一途を辿るだろう。しかし、「自立的な発展」を遂げるためには、他府県同様、沖縄県民にもそれくらいの「痛み」を伴ってもらわなければならない。
参考文献・資料
植田浩・米澤健『地域振興』ぎょうせい、1999
沖縄県「沖縄振興推進計画」2002
沖縄国際大学公開講座『自治の挑戦』東洋企画、2003
我部政明『世界の中の沖縄、沖縄の中の日本』世織書房、2003
新藤宗行『地方分権』岩波書店、2002
地方制度調査会「今後の地方自治制度のあり方に関する答申」2003
恒松制治監修『地方自治の論点101』時事通信社、1998
富川盛武・百瀬恵夫『沖縄経済・産業』自立化への道』白桃書房、1999
内閣府「沖縄振興計画」2002
百瀬恵夫・前泊博盛『検証「沖縄問題」』東洋経済新報社、2002
『沖縄タイムス』
『琉球新報』
[1] 例えば、百瀬恵夫・前泊博盛『検証・沖縄問題』(東洋経済新報社、2002)。他にも「沖縄イニシアティブ」を提唱する大城常夫・琉球大学教授などが沖縄開発庁について否定的見解を示している。
[2] 「高率補助」とは、道路、港湾、空港、橋梁、学校など自治体が主体となる公共事業の国庫補助率が、他府県の2〜5割水準に比べ、沖縄県は5〜9割と高率になっていることを指す。例えば、河川の改修費補助率は、沖縄県の場合9/10であるが、全国水準では1/2である。また、同じ開発庁方式を採用してきた北海道の同補助率は5.5/10であり、奄美大島においても6/10となっている。
[3] 前掲、『検証「沖縄問題」』。38〜46頁に詳しい。
[4] 『琉球新報』及び『沖縄タイムス』2001年1月6日。
[5] 「沖縄米軍基地問題協議会」は米軍によって引き起こされる事件・事故について協議する機関である。一方の「沖縄政策協議会」は、沖縄に関連する基本施策について協議する機関である。両協議会の設置によって、内閣が沖縄の基地問題と経済振興の問題に深くコミットすることになった。
[6] 正式名称は「沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会」である。島田晴雄・慶応大学教授の名に因んで島田懇談会との通称を持つ。96年8月に内閣官房長官の私的諮問機会として設置され、基地所在市町村限定の地域振興策事業が協議された。
[7] 最近の沖縄本島北部市町村の経済振興を支えているのは、「普天間飛行場の移設先に係わる政府方針」(1999年12月28日閣議決定)に基づく、「北部振興事業制度」である。同制度は、名護市が普天間飛行場の代替施設建設を容認する代償として創設された。
[8] 日米地位協定・第二条第一項(a)「合衆国は、相互協力及び安全保障条約第6条の規定に基づき、日本国内の施設及び区域の使用を許可される(以下省略)」。
[9] 第27次地方制度調査会「今後の地方自治制度のあり方に関する答申」22−27頁。(地方制度調査会、2003年11月)
[10] 『沖縄タイムス』2004年1月11日
[11] 例えば、琉球大学の比嘉幹郎教授(当時)が提起した「沖縄自治州構想」や同じく琉大の久場政彦氏が提起した「沖縄特別自治地域構想」などがある。また、1981年、1998年には自治労沖縄県本部が「特別県政構想」、「琉球諸島自治制構想」を提起している。なお、両構想は、大田県政の副知事を務めた吉元政矩氏がイニシアチブを取って策定された。
[12] 『沖縄タイムス』1997年7月7日
[13] 前掲『検証「沖縄問題」』138頁。下河辺淳・国土審議会会長(当時)は「国際都市形成構想」の策定を高く評価している。
[14] 『沖縄タイムス』2003年10月30日
[15] 同上。2003年11月16日