1.はじめに

 昭和25年に公布された建築基準法は、その前進である市街地建築物法[1]が中央集権的で府県や市町村の関与が一切認められなかったことに比べ、戦後、アメリカ合衆国の影響により、建築主事[2]による確認制度の導入など地方自治体の関与を大幅に認めるものとなった。

しかしながら、建築基準法は、国によって全国一律の「最低基準」として画一的に決定され、それ以外の基準を認めず、同法上の事務は、国の機関委任事務として指揮監督のもとに執行されていたことからすれば、事実上、地方自治体は、戦後も国の出先機関的な要素を拭い去れないまま現在にいたっているのである。

その結果として、実態と乖離した建築基準法の形骸化した部分を生み出したのである。

42条第2項[3]に規定される道路整備の立ち遅れは、国が全国一律で幅員4mに整備することにこだわった結果であろう。また、用途地域や容積率と地域性との乖離によって、建築基準法上は適法であるにもかかわらず地域からの反発を生み、近隣紛争が訴訟にまで発展するケースも見られる。

戦後50年という時間は、キャッチアップの時代に造り続けた建築群をいつの間にか「都市」へと変容させていた。スプロールし続けた都市化社会から既成市街地の整備、開発、保全が求められる都市型社会へ転換していたのである。そういった状況で、やはり、現在の全国一律の規制が機能しなくなっているのは当然の結果であろう。

以上のことからすれば、地方分権一括法による地方自治体の権限拡大は、中央集権的な体制により形骸化した部分を見せ始めた建築基準法が、実効性を確保するために新たな方向性を見出す「鍵」になるのではないかと考える。そこで、地方分権一括法による建築基準法の改正がその運用に与えた影響を、同法の形成の歴史と現在の動向から検証し、今後の展望を考察する。

 

2.建築法規の歴史

 わが国の中央集権的な建築法規が、どのような歴史を重ねてきたかを整理してみる。

 わが国最初の建築法規として、大宝律令に近所の家の中をのぞき見るような建て方を禁ずる記述が見られる。江戸時代には、100万人を超える大都市江戸に身分制度の確立や市街地形成に伴いの建物の格式や防火関係の規制が現れてくる。

 明治時代に入ると欧米に追いつくために近代化が急速に進められ、都市計画法制のルーツである東京市区改正条例[4]が明治21年制定される。

 さらに、日清、日露、第一次大戦を経て産業の発展とともに、都市部への人口集中、住宅と工場の混在など都市問題が深刻になり、大正8年に現在の建築基準法の前身である市街地建築物法が制定される。

 同法の特徴は、建築行政の中央集権化の強化[5]である。まず、同法による地域・地区指定等は内務大臣の権限とされ、新設の建築規制についても詳細な全国統一の基準が定められた。また、その実施・適用の管理者は道府県の警察官庁の長としての知事であり、現在の建築確認に相当する処分は知事の認可とされた。(原田 2001P29)

 第二次大戦後、昭和25年に建築基準法が制定される。同法の制定については、@規制の手続き・実施・適用の管理者を警察官庁から切り離したうえ民主化をはかり、地方自治体(原則は市町村)の吏員たる建築主事による確認行為とすること、A既存制度の内容の改善を図ることなどに主眼がおかれた。

 同法の制定は、確かに民主化措置であったが、マイナス面も伴っている。それは、@建築規制の警察官庁からの切り離しと覊束的な確認主義への転換が、その規制力を相対的に弱めたこと、A集団規定の適用範囲を都市計画区域に限定したことにより、都市計画区域外の建築の自由を無作為に許したこと、B全国一律の「最低基準」を国が画一的に決定しそれ以外の基準の設定は原則許さないという制度の基本構造に手をつけなかったことなどがあげられる。

 その後、社会状況の変化や技術の進歩に伴いその都度改正が行われたが、特に平成10年改正では、@建築確認・検査の民間開放、A建築技術の進歩に伴う建築基準の性能規定の導入など良好な社会資本の蓄積に応えるため大幅な改正となっている。さらに、平成12年の地方分権一括法で建築基準法関連事務が機関委任事務から自治事務とされ今日に至っている。(1参照)

 

3.地方分権一括法による建築基準法への影響

 平成12年の地方分権一括法の施行により、建築基準法の事務が、機関委任事務から自治事務および法定受託事務に移行したことは、同法における全国一律の規制による弊害の払拭に一歩前進するものであると同時に、地方自治体の法の運用に対する責任が今まで以上に要求される。

また、法の運用における国の指揮監督を目的とする通達も廃止され、法の解釈権が拡大され、条例制定権における横だし・上乗せ条例の解釈にも自由度が拡大され、独自の規制への取り組みを促進するであろう。

しかし、いままでの国や都道府県に任せてばかりであった法の運用や解釈基準に対して「地方分権一括法によって自治権拡大への期待とともに、自治体にそれに見合った力や態勢が整っているのかといった不安」(1999年07月22日朝日新聞大阪朝刊)を多くの地方自治体が抱えていることも事実である。

 

4. 地方分権一括法以降の動向

 先に述べた、地方分権一括法による建築基準法改正に対する影響について、国土交通省や地方自治体における具体的な事例を次に挙げる

 

(1)建設省(現、国土交通省)建築審議会建築行政部会市街地環境分科会中間報告より

 建築審議会(「中央省庁等改革の推進に関する方針」(平成11年4月27日、中央省庁等改革推進本部決定)に基づき廃止され、その機能は新たに設置される社会資本整備審議会建築分科会に引き継ぐこととされている)では、建築基準法の集団規定の総点検として平成12年12月 5日の中間報告において、今後の集団規定の検討の方向性を5項目に分類している。

地方分権に関することとして、「規制の実効性の確保」の中で我が国の市街地には狭小な敷地や狭隘な道路が多いことを踏まえ、集団規定の適用の基礎となる敷地や道路の在り方について、さらに検討を行うべきである。 (中略)また、二項道路の制度は救済規定であり、このことにも配慮する必要があるものの、建築基準法施行後50年経過してもなおその整備が遅々として進んでいない現状を十分認識し、市町村によるその整備を促すために、各種事業制度の充実等も含めて検討すべきである。とし、地方自治体による地域の実態に合ったきめの細かいルール作りが、法の実効性の確保につながることを提言している。

また、「多様な主体の連携 」の中では、平成12年の地方分権一括法の施行等により、地方分権が進められ、都市計画や建築行政についても自治事務とされ、地方公共団体はまちづくりについて大きな役割を担うこととなった。このような動きをさらに促進し、地方公共団体が積極的にその役割を果たしていくことが重要である。

(中略)このような地方公共団体、住民、建築士などの専門家のほか、NPO、企業などの多様な主体の、それぞれの活動が相まって、幅広い知恵がまちづくりに結実し、良好な市街地が形成されるよう、それぞれの果たすべき役割及びその分担について検討するとともに、これを踏まえた集団規定の在り方について検討すべきである。 とし、今後の法の運用における一層の地方自治体と住民の役割の重要性を説いている。

 

(2)国土交通省の「通知」より

平成13年2月19日 国土交通省住宅局長通知「地方分権に伴う住宅・建築行政に関する通達の取扱いについて」では、地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律(平成11年法律第87号)は、平成12年4月1日から施行され、機関委任事務及びその処理に関する国の包括的指揮監督権限が廃止されたところである。このため、機関委任事務の処理に関し拘束力のあるものとして地方公共団体に対し発出した通達はその根拠を失っているが、従前に発出した住宅・建築行政に関する通達(国の地方公共団体に対する支出金の交付及び返還に係るものを除く。)の取扱いについて疑義が生じないよう下記のとおりとしているので、ご了知願いたい。とし、実務上の混乱を招かぬよう注意するとともに、従前の取り扱いを継続し自治体の独自の取り組みにブレーキをかけるようなニュアンスも感じられる。

平成13年2月19日 国土交通省住宅局長通知「建築基準法の規定に基づく国土交通大臣の承認の基準について」では、法第41条[6]の規定に基づく市町村の条例による制限の緩和については、地方の土地の状況からみて法の基準によらなくとも十分にその安全性を確保することができる場合に、その基準による必要がない範囲において基準を緩和しようとする趣旨であること。

 また、法に規定されている建築基準は、全国を一律に適用の対象とし、建築物として要求される最低の基準(法第1条)を規定しているものであるから、その基準は文字どおり、安全性の確保のために必要な最低の基準とならざるを得ず、それ以下の基準で建築物の安全性を確保できるような地域は非常に特別な地域であって場所的にも限定されるものであること。

 このため、以上の趣旨を踏まえて、将来にわたっての土地利用の状況を勘案して、安全上、防火上及び衛生上支障が生じないことが確実と考えられる場合に、区域を限って必要な基準を緩和するものであること。とし、条例の制定権における国の関与を大きく残すものとなっている。

 

(3)新聞記事より

@仮処分申請を地裁支部が却下 国立の高層住宅問題 /東京

20000607日 朝日新聞東京朝刊

 国立市の高層マンション建築をめぐり、地裁八王子支部(満田明彦裁判長)が反対住民らの訴えを却下した決定をマンションの建築計画は建築基準法にのっとっており、違法性は認められない。いかなる景観がふさわしいのかは、主観に負うところが大きく、一義的に定めることは極めて困難だ。としたことに対して、反対住民組織の代表は極めて残念だ。地方分権と言われながら、住民が自らのまちの住環境や景観を守れないのはおかしいと話している。

 

A京の町並み守れ、「再生特区」案 立命館大リム・ボン教授に聞く/京都

20020711日 朝日新聞大阪朝刊

京都の町並み整備を国家プロジェクトとすることを目指している立命館大のリム・ボン教授 は、京都は、市民が日常を過ごす「暮らしの場」であると同時に、年間4千万人の観光客が訪れる「世界に誇る歴史都市」。日本にとって首都東京と並ぶ「特別な都市」であるならば、その町並みの再生には国家的支援が必要、と考えます。とし、京都の町並み整備を国家プロジェクトとして促進することの必要性を説いている。それが地方分権の流れに反することに対しては、分権の時代だからこそ国の役割が明確になる。州などの独立性が高いアメリカで、ボストンの町並み整備の一部を国家プロジェクトとして位置づけているのがいい例です。国家として守る価値のあるものは、どこにあろうと、国がかかわる必要がある。地域が特色ある町づくりを進めるには、事情に応じて規制を強めたり緩めたりすればいい。としている。

 

B国交省、条例で 横浜市長「大きな前進」地下室マンション/神奈川

20030712日朝日新聞朝刊東京

中田宏・横浜市長は11日、国土交通省を訪れ、斜面地で建設が相次ぐ「地下室マンション」の建設に歯止めをかけるための建築基準法改正を要望した。応対した中馬弘毅副大臣は法改正に消極的な姿勢を示したが「地方分権の時代。条例でやりなさいよ」と発言。横浜市は条例制定も視野に動き出しており、「市の方針に国の『お墨付き』を得た」と受け止めている。といったことは、全国一律の規制にこだわっていた国の方向性が大きく変化していることを示している。

 

国の通知の内容からは、自らの地方への関与の余地を残したい気持ちも窺える。逆に、京都の場合などは国の支援があってこそ成立するものかもしれない。あるいは、建築審議会の答申や横浜市の事例からすれば、やはり、法の実効性の確保のために地方分権は欠かせないものとなっている。国も地方自治体も、まだまだ模索中といった感が否めないが、やはり、横浜や国立の事例などに見られる現場の実態からすれば、建築基準法の地方分権化は、今後の建築行政には必須であると思われる。

 

5.まとめ

 今後、地方分権による地方自治体の権限の拡大が、法の実効性の確保に反映されるかどうかは、自らのまちをどのようにしたいか(例えば、まちの規模を抑制したいのか、木造密集地域の更新をいかに進めるのかなど)ということに対して、規制をいかに戦略的に活用するかという地方自治体の考え方如何にかかわってくる。

まだまだ、国のスタンスや地方自治体のスタッフの問題など課題が多く、地方独自の建築行政に取り組むことに対して二の足を踏んでいる自治体も多いが、現段階で通達の廃止によって法の解釈権は拡大され、地方自治体において柔軟な法の運用が可能になっていることを考えれば、それを十分に活かし、逆に地方から更なる制度改革への足がかりとなるような実績を積み上げていくことが重要である。

ともすれば、条例の乱立は、地域エゴを反映した排他的なものになりかねない。しかしながら、今こそ地域住民と自治体が一体となって地域をルール作りに取り組むことこそ、将来へ残していける「まち」を作ることができるのではないかと考える。

 

1建築基準法の主な改正とその社会的背景

改正年(施行年)

制度規定関係

単体規定関係

集団規定関係

社会状況・大規模災害

25制定

 

 

 

鳥取大火(27)

経済復興(3032)

映画館・ビル火災多数

経済成長(3032)

伊勢湾台風(34)

公害拡大

自動車保有台数急増

東海道新幹線開通(39)

経済好況(4145)

超高層ビル(霞ヶ関ビル)1号竣工(43)

十勝沖地震M7.9(43)

大阪万国博(45)

住環境への関心高まる

デパート・ホテル火災多発(4757)

少子化傾向

 

 

宮城県沖地震M7.4(53)

 

 

 

 

建設投資拡大(60〜平2)

経済成長の鈍化・低迷(2)

行政手続法制定(5)

 

阪神・淡路大震災M7.2(7)

 

321改正

 

 

商業地域の建蔽率の緩和

342改正

 

防火に関する規定の強化

3F以上の避難施設の強化

幅員4m未満の道路の許可可能

 

363次改正

 

特殊建築物の防火規定の強化

車庫・自動車修理工場の規定緩和

特定街区の新設

384次改正

 

高層建築物(31m超)の防火・避難規定の整備

容積地区制の創設と地区内の絶対高さ制限の廃止

455次改正

人口25万人以上の都市は建築主事を置くことを義務化

違反是正措置の整備強化

工事中の建築物の安全対策

 

用途地域の整備と全面容積制

建蔽率の緩和

絶対高さ制限の廃止

総合設計に制度の創設

516次改正

 

 

2住専の容積率・建蔽率の強化

日影規制導入

道路幅員の容積制限の強化

55政令改正

 

新耐震基準導入

 

627次改正

 

 

特定道路に関する容積率の緩和

後退距離による道路斜線等の緩和

4改正

 

順対価構造の新設

共同住宅等の木造3階建可能

用途地域の細分化

68次改正

 

 

住宅の地階部分の容積緩和

9改正

 

 

共同住宅の共用部分の容積緩和

10改正

確認・検査機関の民間解放

中間検査の導入等

型式適合認定制度の整備

建築基準の性能規定化

連担建築物設計制度の創設

14改正

 

シックハウス対策の規定導入

容積率制限等の選択拡充

総合設計の基準の一部定型化手続き緩和

 

■参考文献

1.片倉健雄、大西正宣、建築法制研究会著 「建築行政 法規と秩序を学ぶ」 学芸出版

2.近藤正、長島靖編 「都市・建築・不動産企画開発マニュアル2004-05」 エクスナレッジ

3. 1.特別区人事・厚生事務組合特別区職員研修所編集 特別区職員ハンドブック 2004 2004.2.29 ぎょうせい

4.原田純孝編 「日本の都市法T 構造と展開」 2001.04.25 東京大学出版会

■参考ホームページ

1.朝日新聞オンライン記事検索データベース「聞蔵」

http://dna.asahi.com/



[1] 大正8年に制定された建築規制法。現在の建築基準法の前身。

[2] 建築確認処分を行うために、都道府県および区市町村におかれる独立の行政機関。

[3] 建築基準法第42条に道路の規定がされ、原則的に幅員が4mでなければ道路ではない。しかし同条第二項において一団の市街地を形成している場合は、幅員4m以下であっても道路としてみなし、建築の際に中心から2mセットバックすることを規定している。

[4] 日本で最初の都市計画立法である。立案・制定過程で、ナポレオン3世治下のオスマンによるパリ改造事業が強く意識され、幕藩体制から引き継いだ封建都市としての東京の既成街区を長期的な視野にたって近代的な都市構造に改造していくために用意された法制度である。

[5] それまでは、東京市区改正条例においても中央集権的な側面があったが、建築規制が定められていない部分に関しては、府県の長の裁量が認められていた。

[6] 建築基準法第四十一条(市町村の条例による制限の緩和)