自治制度演習B 2006.10.26
公共経営研究科 田中 照彦
はじめに
地方自治体では、予算を中心とした行財政運営の中で、どれだけの予算や職員を投入したのか、どれだけのことを実施したのかについて議論することが多い。しかし、住民の視点から見れば、同時に、どれだけの成果があったのかが重要である。例えば、道路の建設においては、予算を使って労力と資材を投入し工事を行う。そして道路が完成し、住民が利用する。住民の立場から見ると、利便が向上したことが重要であり、決して道路の完成自体が重要なのではない。
一般に、行政評価[1]においては、政策や施策、事業を、インプット(Input, 投入)→アウトプット(Output, 結果)→アウトカム(Outcome, 成果)という一連の流れでとらえ、アウトカムという概念を重視する。先ほどの道路の建設の場合においては、「労力や資材」がインプット、「道路の完成」がアウトプット、「利便の向上」がアウトカムとなる。行政評価法[2]第三条第一項では、政策の効果について「政策に基づき実施し、又は実施しようとしている行政上の一連の行為が国民生活及び社会経済に及ぼし、又は及ぼすことが見込まれる影響」と定義している。総務省行政評価局は、この「影響」がアウトカムに当たるとしている。
アウトカムは、行政の活動の結果、国民生活や社会経済に及ぼされる何らかの変化や影響として、具体的には、行政サービスに対する満足度、講習会の受講による知識や技能の向上、搬送された患者の救命率、開発途上国における教育水準(識字率、就学率)、大気、水質、地質の汚染度などの指標により表現できる。
一方、アウトプットの指標は、アウトカムの指標以外のもの、つまり行政の活動そのものや行政活動により提供されたモノやサービスそのものなどである。具体的には、事業の実施件数、会議の開催数、講習会や展示会等の開催回数、助成金の支給件数、パンフレットの配布数などの指標がこれに当たる。
ただし、府省の考え方により、総務省の定義上アウトプットの指標に分類されるものをアウトカムの指標として用いるケースもある。文部科学省では、死亡見舞金及び障害見舞金の支給件数について、学校における死傷事故の発生件数をおおむね正確に示し、学校の安全確保の状況を表すものとして、アウトカムの指標に分類している。
また、農林水産省では、被災した施設等の復旧に係る期間について、政策努力の結果、どれだけ短期間に国民がサービスを受けることができたかという成果を表すものとして、アウトカムの指標に位置づけている。現実の社会には、アウトプットの指標とアウトカムの指標とを厳密に区分することが困難である活動が存在している。
行政評価においては、事業の効果について測定または分析し、一定の尺度に照らして客観的な判断を行い、新たな企画立案やそれに基づく実施を的確に行うことに資する情報を提供する。また、住民に対する説明責任(アカウンタビリティ)を果たすためにも、行政評価は有効な手段となっている。住民の信頼を得るためには、地方自治体が何を目指して何をしようとしているのか、そしてどれだけの成果をもたらしたのかについて、合理的に説明しなければならないからである。
しかしながら、総務省が設置した「分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会」がとりまとめた最終報告書[3]では、地方自治体の行政評価について、行政評価の導入自体は着実に進んでいるが、必ずしも本来の趣旨に沿って有効に機能しているとはいえない状況も見受けられると分析している。何故、行政評価制度の導入の趣旨に合わない状況が発生するのか、アウトカムという指標に着目し、その原因に迫りたい。
総務省が2006年4月に公表した調査結果[4]によれば、鳥取県を除く46都道府県、14政令指定都市(すべての政令指定都市)が行政評価を実施し、中核市では87%、特例市では90%の実施率となっている。その内、結果の活用方法では、「予算要求や査定に活用」している団体の比率が都道府県98%(和歌山県を除く45都道府県)、政令指定都市100%、中核市予算97%、特例市92%である。最近の傾向としては、評価結果に「住民意見を反映させる仕組み」を取り入れている自治体が増加し、都道府県59%、政令指定都市64%、中核市33%、特例市21%の団体となっている。
なお、鳥取県の片山善博知事は、三菱総合研究所のインタビューにおいて、行政評価を実施しない理由について、次のように話している[5]。
「本来の行政評価は、一つ一つの政策をきちんと点検して、税金の使い方としてふさわしいかどうか、優先順位を間違えていないかどうかをチェックしなくてはいけません。それは毎年予算編成でやっていなくてはならないのに、ほとんどの地方自治体で、その点検を怠っているのです。シーリングというのがありますから、中味を見ないで総量規制だけやっているとか。鳥取県は、予算で点検をきちんとやりましょうということで、公共事業は一本ずつ全部チェックしなさい、現場にできる限り行きなさいと指示しています。現場でこれが必要か必要でないか、効果があるかないかというのを検証するようにしているのです。議会にも監査委員にも点検を頼みます。本来税金の使い道をチェックするステップがいくつもあるのに、多くの自治体はきちんとやっていないのですよ。行政評価をやるなら、原点にかえって知事は財政当局を駆使して無駄なものを排除する、そういうシステムにすべきです。一番の行政評価は、予算の策定過程、審議する場だと思います。そこを徹底的にやるべきだと思います。だから議会の人達が予算審議の時に、行政評価の手法を導入するというのならば、私は大賛成です。」
本来、税金の使い道をチェックする予算編成などで、議会の手によって徹底的に評価を行うのであれば意味はある。しかし、今の行政評価はいわば「お手盛り」であるため、評価の意味がないということである。
2005年3月の第2項 「分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会」最終報告書の中では、自治体行政評価の現状について、次のように記されている。
「地方自治体の行政評価について、事業担当課自身の価値判断に依拠した評価に対する信頼感の欠如、膨大な数の事務事業を評価対象とすることにより、かえって全体の体系の中での位置づけ、優先順位が判断しにくくなることなどから、制度導入の意図とは裏腹に、評価結果が予算や組織・人事管理などの行政の意思決定の中核において十分に活用されず、現場の意識改革や施策・事業の改善のツールとしても有効に機能していないことが多く、その結果、評価結果がマネジメントにおいて活用されず、行政評価を行うこと自体が自己目的化し、担当者の負担感ばかりが増すことにつながっている。」
また、「行政評価の方式を精緻化するほど、その結果は専門的で難解、かつ、膨大なものとなり、住民や議員にとって分かりにくいものとなることが多い。マネジメントツールとして有効に機能しない場合には、行政評価自体が重視されず、住民に対する説明責任を果たすツールとしての機能も不十分とならざるを得ない。」とも分析している。
行政評価という仕組みが適切に運用されていないことにより、実際にその効果が発揮されていないばかりでなく、「アカウンタビリティのジレンマ」[6]とも言われる現象が生じている。全国の自治体において、取組を始めるには始めたが、いざ実施してみると、様々な問題を抱えているところが多いのである。
報告書では、行政評価の目的について、「行政の施策、事務事業の成果などを客観的基準に基づいて把握し、不断に見直す仕組みを通じて、継続的に施策、事務事業を改善し、成果達成に有効な施策などに重点的かつ効果的に経営資源(予算・定数)を配分することに資するとともに、住民に対し説明責任を果たし、透明性の高い行政を実現することを趣旨として導入されるものである」と記している。
ここでは、Plan(計画)−Do(実施)−Check(評価)−Action(改善行動)といういわゆるPDCAサイクルによるマネジメントを通じて施策を改善し、効率的、効果的な施策への重点化に資する成果志向型財政運営を実現するとともに、住民への説明責任を果たすことが目的である。なお、国の政策評価の目的は、「国民に対する行政の説明責任を果たすこと」、「国民本位の効率的で質の高い行政を実現すること」、「国民の視点に立ち、成果重視の行政を実現すること」と整理されており[7]、目指すところはほぼ同じと言ってよい。
自治体への行政評価の導入は、1995年の三重県の事務事業評価システムに始まる。その際、当時三重県の北川正恭知事は、事務事業評価を「さわやか運動という『生活者起点』の行政運営」の一環として、予算制度改革や計画づくり、さらにはアカウンタビリティに関連づけている。「さわやか」はサービス、わかりやすさ、やる気、改革の頭文字をとってつけられた名称である。この時、評価システムの真のねらいは、組織風土の改革、すなわち職員の意識改革を目指すものであった。評価もさることながら、自分の仕事の仕方のありようを見直すための道具としての意味合いがあり、それまでは考えもしなかったことを考え始めるということが、評価調書の公表、予算編成過程の公表へと続き、さらに進化する組織を作り出し、ヒエラルキーの打破、縦割り行政を打ち破ろうというインセンティブに結びついたのである[8]。
評価(プログラム評価)においては、まず、政策、施策の目的とその手段として位置づけられている事業との関係を図示して整理する。これはロジックモデルと呼ばれ、個々の事業がどのように関連しあって、最終的に目指すべき成果に結びついていくかという経路を模式的に示したものである。例えば、ある途上国で識字率を30%改善するために小学校建設とその運営を行う場合のインプット(投入)−アウトプット(結果)−アウトカム(成果)の関係を示すロジックモデルは、図1のとおりである。
【図1】
出典:龍 慶昭、佐々木 亮 (2004)をもとに作成
インプットとして、資金的(計○万円)、人的(計○人)、時間的(計○時間)などのプログラム実施のために投入される資源が明示され、アウトプットとして、運営開始後5年で計○万人が教育を受けるということにつながり、アウトカムとして、識字率が20%から50%になる(30%改善する)という成果をもたらすのである[9]。
ここで効率性について考える。効率性は、通常、インプット(投入)の量と、アウトプット(結果)との比率(アウトプット÷インプット)によって示される。この支出額と生産物やサービスとの関係を示す単位費用比率は、これまで広く使用されてきた。しかし、この指標の問題点は、生産物やサービスの質を落とすことで数値が改善することもあり得ることにある[10]。
例えば、「禁煙プログラムを受けた住民(喫煙者)ひとりあたりの費用」は、効率性の指標である。この場合、たとえ結果として禁煙率が向上しなくても、ひとりあたりに費やされるインプットの量が少なくなれば効率性は向上する。
一方で、「禁煙プログラムを受けた結果、禁煙した住民(喫煙者)ひとりあたりの費用」は、アウトカムを用いた効率性の指標である。生産物やサービスの質を落とすことなく、効率性を示す、より正確な指標を手に入れることができる。
現在、求められている、あるいは各地で導入が進められている行政評価には「行政活動の結果、住民からみて、いかに成果(アウトカム)があがったか」、「限られた予算・財源などの行政資源のもとで、いかに住民にとってよりよい公共サービスを提供しているか」といった視点が重要である。これは言葉を変えていえば、何のために行政評価に取り組むか、その目的を明確にすることである[11]。アウトカムを強く志向することによって、その政策、施策、事業の目的が明確になってくる。
同時に、効率性をアウトカムで測定することにより、アウトカム向上に資することのない施策、事業はそもそも必要ないということになる。むだな施策や事業を廃止、休止することに行政評価という仕組みが使われる理由がここにある。
アウトカムは、健康や安全、教育、雇用、所得、生活水準など、住民の状態のことを指す。そして行政サービスの提供においては、最終的にそのサービスを受けた住民の満足度がアウトカムとなろう。アウトカムを志向し、追求することにより、「そもそも住民満足はどのように達成されるのか」、「住民の幸せとは何か」といった問題に遭遇することになる。
物が豊かになるにつれて、物の豊かさから心の豊かさを求める時代に移り変わってきた。そして、これまで地域単位や家族単位で分かち合えた幸せや満足も、個人単位に移り変わるようになり、それらをめぐる価値観は極めて多様化している。幸せや満足は、家族や友人がどうであれ最後は個人の問題となる。このことを踏まえれば、行政サービスは、住民のニーズに応じて、住民自身の意志と責任による自主的な選択に基づき提供されることが本来のあり方であろう。
憲法92条に規定する「地方自治の本旨」は、一般に「団体自治」と「住民自治」の二つの要素からなるとされている。地方自治を実現するためには、国から独立した団体を設け、その団体の権限と責任において地域の行政を処理する「団体自治」が必要不可欠な要素である。しかしながら、国から独立した地域団体である自治体が存在しても、「住民自治」の理念に則り、当該団体の政治や行政への住民の参加・参画が十分に行われなければ、住民のための地方行政の実現は困難である[12]。
アウトカムを志向する行政評価の実務を通じて、自治体職員は、いかに国から独立した地域団体である自治体が存在し団体自治の原則を貫いても、住民のニーズが十分に把握できなければ、住民のための行政の実現は困難であり、団体自治とともに、車の両輪となって住民自治を機能させなければならないことを実感する。アウトカムの向上を最優先に考え、住民の視点に立ち、自らの施策、事業を見つめることによって、地方自治の本旨を考えるきっかけとなるのである。
さらに、行政評価の対象となる施策、事業の財源に国庫補助金が含まれている場合、自治体職員は、補助制度の不合理を実感する。住民の多様なニーズの要請と国の全国一律な補助制度とは、しばしば衝突し、画一的になりがちなルールのもと、国から独立した地域団体としての団体自治の原則を貫くこととは何か、ということが問われるからである。アウトカムを志向することにより、地方分権の意識も強くなるのである。
アウトカム志向・重視は、行政評価において極めて重要であるが、アウトカム指標の測定は容易ではない。例えば、アウトカムは想定出来るが、数値では表せない場合がある。自治体の電子化、情報化を進めることによって行政事務の効率化を図る事業の場合、アウトカムは明確だが、それを直接測る手だては難しい。このような場合、成果の一部であっても数値で測るものを指標化する(例えば、特定の庁内手続きに要する時間など)、事業の対象者を対象とするアンケートを行う(職員アンケートを実施して業務におけるIT活用度を問う)など、側面からでもアウトカムを測る工夫が必要となる[13]。
また、アウトカムが発生するのに時間がかかる場合がある。例えばハード事業、道路や施設を建設する、区画整理を行うといった長期間を要する事業で、本来のアウトカムが短期的には計測できないものがある。このような事業の場合、工事の終了まで本来の成果を測ることができないため、年度ごとに事業の評価を行う場合、何らかの工夫が必要である。工事に伴う苦情件数、あるいは施設などが完成し供用されることの認知度や期待度で代用するなど住民満足を表す何らかの指標が必要である。
さらに、アウトカムは妥当性においてアウトプットを上回るものの、信頼性においては劣っていることがある。例えば、道路建設事業の場合、アウトプットとして「道路施行延長キロ数」、アウトカムとして「隣町への所要時間」を考えてみる。アウトカムの妥当性については問題ないが、所要時間の計測は時間帯(通勤時間帯かそれ以外か)や曜日(平日か休日か)、天候(好天か雨天か)などにより異なってくるため、信頼性に問題が多い。したがって、アウトカム指標には信頼性に問題があることに留意し、指標作成におけるデータ収集などの手法にも注意を払う必要がある[14]。
政策や施策、事業からは一定の成果が生じるが、その成果のすべてが組織の活動によるものとは言えないことから、アウトプットとアウトカムとの因果関係を明らかにすることに限界がある。例えば、介護サービスで1000人の要介護者に週3回のサービスを行うとする。このサービス(アウトプット)を供給するのに必要なホームヘルパーは何人であるとか、介護施設の規模は何床かなどは計算可能で、必要な予算額も算定できる。ところが、寝たきり老人を2割減らす(アウトカム)ため、必要なホームヘルパーは何人であるとか、介護施設の規模は何床かなどは合理的に算定することができない[15]。
また、ある交差点で交通事故が3件起きていたところが、カーブミラーを設置した時期から1件も起きていないということがあった場合、この交差点にとってカーブミラーを設置したことに効果があったということになるかもしれない。しかし、一方で、この地区の小学校で安全教育が重点的に行われていたということであれば、そのどちらの効果が上がったかということを推測するのは難しい。交通事故は、その性格上、実験的に確かめるようなものではないからである。アウトプットとアウトカムの関係はそれほど簡単には結びつかないのである[16]。
行政サービスは、特定の限られた目的や集団に特化した運営を行うことが難しい。このため、しばしば行政施策の領域間で相反するアウトカムを追求することを強いられる。
例えば、工場誘致による産業振興策を推進すると、一方で、生活環境の悪化による環境問題を誘発し、生活環境の向上というような別のアウトカムと相対立する。あるいは、良好な住宅供給を促進するために宅地造成を進めれば、農地や山林の開発が必要となり、農業の振興や山林緑地の保護のような別のアウトカムと対立する[17]。異なる領域間でのアウトカムの優先順位を設定する必要に迫られるのである。
評価は、異なる領域間での優先順位の設定を行うことが難しい。ロジックモデルが、一定の価値の実現に向けた手段として構成され、その根底に一定の理念や価値をおいているためである。異なる領域間の優先順位の設定は、異なる価値の間のウエイト付けを内包している。この作業は、客観性をいくら高めたとしても解決できるものではない。一般的な原則として、「評価」は「意思決定」に代替することはできない。特に、価値観の対立を解消するという機能は、政治固有の領域に位置するものであり、いくら評価の客観性を高めたとしても不可能である[18]。
説明責任(アカウンタビリティ)とは、そもそも企業経営者など資金の受託者は企業活動における資金管理の責任を負うが、その履行を客観的に説明報告しなくてはならないという義務・責任のことである[19]。情報公開や透明性などと関連して使われるが、決定的な違いは、「責任」という要素が入っているかどうかである。
情報公開や透明性を高める場合は、情報を公にする、知らせることに重点が置かれている。利害関係者が求める情報を公開する、あるいは特定の立場や職業にある人がもつ情報を説明すれば、基本的に完結する。
しかし説明責任の場合は、説明だけでなく、結果について責任を負うことまで求められる。内容的に不十分な説明しか行わず、結果的に金銭的な損失や損害を与えたり、精神的なダメージを与えたりした場合、それを償う必要があると考えられる。
現在、自治体の財政は、きわめて厳しい状況にある。(図2)
当然、説明責任の徹底が求められ、行政評価の更なる徹底が求められている。分析精度の向上や、指標・データの蓄積、アンケート調査なども要請され、実際に、先進的な自治体では、優先性を評価する取り組み[20]や満足度そのものを測定する取り組み[21]などが実施されている。
【図2】
出典:地方財政の借入金残高の状況(総務省ホームページより)
しかしながら、精度の高い評価を行うには、それに伴う費用と時間が必要になる。同時に、専門的な分析も必要となるが、多くの自治体では、評価に係る知識を習得した職員は少ない。説明責任を徹底することが必要であることは明らかであるが、厳しい財政状況を背景に、時間的・予算的にも制約があり、不十分な評価にならざるを得ないのが実情である。
また、行政評価の方式を精緻化すればするほど、その結果は専門的で難解、かつ、膨大なものとなり、住民にとって分かりにくいものとなることが多い。専門的な調査や・分析は、当然、必要なことではあるが、専門家にとって有意義な情報は、必ずしも住民が理解しやすいものではない。説明責任を果たすためには、分かりやすく資料を作成する努力が求められる。そして、多くの自治体において、全庁的に評価を実施し、全分野の職員が評価表の作成に追われることになる。結果として、行政評価を行うこと自体が自己目的化し、担当者の負担感ばかりが増すことにつながっている。
行政評価の目的は、「成果重視の行政を実現すること」「行政の説明責任を果たすこと」「効率的で質の高い行政を実現すること」である。いずれも行政側の視点に立った表現となっている。住民の視点に立場を移し、住民の立場から見直すことにより、行政評価を自治体職員自らのマネジメントツールとして活用することを提案したい。
アウトカムとアウトプットとの因果関係を特定することには限界がある。アウトカムに影響を及ぼす要因が他に多数存在するからである。個々の事例を分析すれば、さまざまな住民活動や民間活動がアウトカムに影響を与えていることがわかる。自治体と住民、民間などが協力しなければ目標が達成できない理由がここにある。
例えば、青少年の非行防止対策における啓発事業として、パンフレットやポスターを作成する場合、目標とすべきはパンフレットの作成部数ではなく、非行の件数を減らすというアウトカムである。アウトカムを意識した議論を経て、少年非行を具体的に減らすためには、例えばNPOと連携した非行防止プログラムに取り組むといった具体的事業の着想が生まれてくる[22]。
また、渋滞の解消はアウトカムであるが、時差通勤などの民間や住民の協力がないと達成できない。渋滞の解消を目指すとき、文書化すれば責任が自治体に及ぶことから最初から書かないというような伝統的な発想があるが、自治体が責任を持てないことは一切書かないという発想では、まじめに実態をわかろうとしているのかどうか、誠意のほうをむしろ疑われかねない[23]。
青森県の政策マーケティング委員会では、シェアド・アウトカム(shared outcome)という考え方を採用している。これは「協働で達成すべき成果目標」と解され、さまざまな民間主体の活動が最終成果に影響を与えることから、最終成果目標を達成するためには、行政と民間主体の双方の活動が不可欠だとする考え方である。特に注目すべきは、その考え方を「役割分担値」という数値にまで表していることである。@個人・家庭、ANPO・市民団体・コミュニティ・町内会、B企業・農漁協労組、C学校、Dその他、E市町村、F県、G国の八者で、目標となるアウトカムを分担し、参加・協働を促し、さらに連携して地域を経営することを志向している[24]。
そこで、評価作業に際し、関係する住民や民間などを巻き込み、積極的に意見を伺い、協働・参画型で評価を行うことを提案する。評価調書を作成する際、住民や民間の方に一緒に作業に加わってもらうのである。そうすれば、参画・協働したことによる関係者の声をストレートに盛り込むことも可能であり、また住民や民間の視点からの改善提案も期待できる。ロジックモデルについても、自治体の活動だけでなく、住民や民間の活動を含めて、関係者が協働して作成し、共通した認識を持つことができ、自然にシェアド・アウトカムの意識が芽生えるに違いない。
アウトカムの測定には限界がある。加えて、厳しい財政状況を背景に、時間的・予算的な制約が大きく、不十分な分析にならざるを得ないのが実情である。このような状況で、不十分さを十分説明しないまま、評価作業が進めば、問題点が顕在化せず、いずれ大きな問題が生じる結果につながる恐れがある。そして、かえって評価結果に対する住民の信頼が損なわれることになる。
現在の自治体の行政評価のホームページを見ると、施策・事業に係る評価結果の一覧表の掲載、事業の廃止や見直しの件数の公表といった結果の公表にとどまる場合が多い。評価の判断基準や結果に至るプロセスは、公表されていないことが多いのである。
例えば、工場誘致による産業振興策について評価する場合、生活環境の悪化というような別の影響があるものは、産業振興というメリットと生活環境悪化というデメリットとの比較により判断される場合があろう。しかしながら、事業を推進する産業振興部局の評価では、デメリットとなる生活環境悪化という指標の把握は不十分なものにならざるを得ない。その結果、判断に重要な情報が公表されず、問題点・争点も明確にならず、住民の理解、選択にも結びつかないことになる。
この場合、生活環境の保全を担当する環境保全部局が評価に加わることによって、評価の不十分さをカバーすることができる。そして、中立的でオープンな評価が可能となる。医師は「医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない[25]」とされている。いわゆるインフォームドコンセントである。
この考え方を基本に、行政評価においても、最悪の事態も想定し、不十分さを含めて包み隠さず公表し、具体的に丁寧に説明し、住民の理解を最優先にするツールとして行政評価を活用する必要がある。評価作業に際し、価値観が異なる、または価値観が対立する部局の職員の参画・協働をベースに、敢えてデメリットがあることを明確にすることを提案する。
行政評価に係る調査や分析の精度を上げることは当然必要である。しかし、この効率や質をアウトカム指標として設定することは、実務的には大変難しい。評価をベースとした改善活動を想定すれば、サービスの水準をどの程度に設定するのか、価値観の違いによって判断が分かれるからである。マネジメントサイクルを回すには、目標設定が大切であることは容易に理解できる。しかし、限界あるアウトカム指標により目標設定することは、測定すること以上に困難な作業となる。
このようなことを議論している間にも、現場は動いている。年に一度の評価では、現在の早い時代の流れに追いつけず、たとえ精度の高い客観的な分析が可能であったとしても結局、日々変化する住民のニーズに応えられない。そして、現場のモチベーションも下がる。反対に、一旦評価した施策においては、その評価が正当化・固定化してしまい、コスト縮減の意識も欠如し、既存施策の拡充に結びつきやすくなる[26]。アウトカムの向上について、定性的に表現できても定量的指標で表すのは難しい。
したがって、行政評価をマネジメントツールとして機能させるためには、行政サービスを信頼性、確実性の高い指標で評価することが先決と考える。このため、経済性について、コントロール可能かつ説明可能なアウトプットの指標で表現することが、まず評価の第一歩である。この時、この指標のみを追求すると、サービスの質の低下をもたらす危険がある。このため、サービス水準を定め、常にチェックしなければならない。他の自治体や類似した民間サービス、NPO活動などとのサービスレベルの比較、行政経営品質向上活動の検証、サービス利用者の声の積極的把握などを通じて、サービスレベルの検証を行うことが必要である。評価作業に際し、自ら理解可能な指標を各方面から集め、自分で説明することができる範囲で評価調書を作成することを提案する。
評価は、あくまで自治体担当者という「人」が行っている。自分が理解できない指標は使い物にならない。住民からの信頼と自治体担当者のモラルの回復にために、自治体担当者の成長を支える行政評価システムが必要である。
おわりに
NPM(New Public Management:新公共経営)による改革が進む英国、ニュージーランド、オーストラリア、北アメリカなどでは、評価指標として、アウトカムとアウトプットのどちらを重視するのかという各国の立場によって、その適用は様々である。しかし、いずれの国においても、アウトプットは政策の執行面での評価であり、よりサービス生産現場に近い部門の評価指標であるのに対し、アウトカムは政策の効果に対する評価であり、政策を企画立案する上位機関の評価指標である[27]。
日本の自治体の場合も、アウトカム指標に基づく行政評価は、事務事業よりも上位の施策か政策レベルで実施する方が妥当性は高い。政策は、首長が民意を反映して作成し、そこには当然政治的な要素が入ってよいからである[28]。担当者が、アウトカム指標に基づく行政評価を、精度を保ちつつ行うことは、技術的にも政治的にも困難である。
また、すべての事業を評価することは、評価コストを大きく上昇させる。できる限り精度を高めることが求められるが、評価コストと精度はトレードオフの関係にあるからである[29]。評価精度の運用に当たり、評価対象を選択の上、集中して実施することが望ましい。そうすることにより、調査・分析の精度をより高めることが可能となる。住民やNPO、事業の専門家、評価の専門家などによる外部委員会を設け、会議を全て公開のもとで委員会が評価対象を選択すれば、評価対象の選択に際し、自治体の恣意的な運用も避けることが可能となる。
なお、議会や監査の活用も有効な手段である。調査・分析に係る職員を配置し、専門的・集中的に取り組むことにより、評価の客観性と精度を高めることができる。職員にとっても評価の専門知識を習得できるといった効果があり、その後の政策執行においてもその経験は多いに役に立つに違いない。
最後に、評価事業の選択することは、住民の関心の高い分野、例えば、災害が発生したときの防災対策、医師不足が問題となっていれば医療対策、いじめが課題であれば教育対策など、その時々に注目されている施策等を評価することを可能にする。このことは、マスコミ等の注目も集めることができ、最終的に、評価の目標も明確になる。評価が外部の目に触れ、住民の関心を集めることができれば、職員の自覚を常に促し、自分の仕事の仕方のありようを見直すための道具という原点に立ち返ることが可能となる。したがって、あくまで住民に身近でわかりやすいものでなければならない。
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[10]ハリー・P・ハトリー (2004)
[11]小野達也、田渕雪子 (2004)
[12]地方六団体「地方分権時代の条例に関する調査研究」の中間まとめU, 2003年3月
[13]小野達也、田渕雪子 (2004)
[14]山田治徳 (2004)
[15]山本 清 (2000)
[16]今井 照 (1999)
[17]大住莊四郎 (2002)
[18]田邊國昭 (2005)
[19]大辞泉
[20]三重県公共事業評価システム
[21]青森県政策マーケティングシステム
[22]上山信一、伊関友伸 (2003)
[23]上山信一 (1998)
[24]後 房雄 (2006)
[25]医療法第一条の四第二項
[26]「政策評価の実現に向けて」(経済財政諮問会議有識者による提案、平成16年10月5日)
[27]熊坂伸子 (2005)
[28]上山信一、伊関友伸 (2003)
[29]窪田好男 (2005)