演習報告(片木ゼミ) 7/12(木)4限
45041024-8 鈴木陸洋
第3クール・テーマ
「なぜ今、総合計画の変革が求められるに到ったのか」
はじめに
今日わが国において、地方分権による権限委譲への対応、行財政改革の推進は各自治体にとって喫緊の課題となっている。自治体の政策形成能力の向上や、政策の選択と集中、市民サービスの向上などが求められているのである。
このような背景の中で、地方自治体の計画活動の重要性は増してきていると考える。地方分権の進展により中央からの権限委譲が行われることによって、地方自治体は行政サービスの提供についてより主体的な決定を行っていかなくてはならない。地域の個性を生かし、市民の満足を実現する一貫した政策を行うには、明確なビジョンに基づいた計画が必要である。また、地方自治体の財政が逼迫する中で無尽蔵に政策を作り実行していくことは不可能になっている現実がある。将来的に成長が続き、パイが増えていく見込みが極めて薄い以上、適切な政策の順位付けが不可欠になる。そのためには計画策定が重要になる。
現在、地方自治体の基本方針を包括的に定めているのが総合計画である。そして、計画の役割が重要であると語られる中で自治体の総合計画は、新しい手法の導入などにより変革が求められるに至っているのである。
事実、最近10年間ほどの間に総合計画の改訂を行った自治体には、策定審議会の答申や総合計画策定の趣旨の中で、変革への志向を述べているものもあり[1]、また、既に、神奈川県横須賀市などでは独自の行政経営サイクルを構築していく中で、行政評価と総合計画の関連性を強めたシステム作りを行っている先進的な実例も存在する[2]。
本論では、なぜ現在総合計画が変革を求められるに至ったのかを考える。
まず1において、1969年の地方自治法の改正に始まる総合計画策定の沿革を概観し、総合計画に対しての周囲の環境の変化について、60年代からの沿革をみることによって現在と比較する材料を得る。2においては、変革が求められる理由について言及する。理由としては、自治体を取り巻く環境要因のここ10年の急激な変化に触発される形で変革が求められていると思われる。すなわち、行財政改革の流行や地方分権推進の過程、自治体財政の危機的状況の回避などにおける課題の一つとしての位置付けである。最後に、結論の部分において、次の議論への繋がりを示す。
各節の議論に入る前に、本論で示すところの総合計画の概念をとりあえずイメージする。基礎自治体レベルにおいては、総合計画とは、1969年の地方自治法の改正によって設けられた基本構想とそれにもとづく基本計画−実施計画という形で策定された長期の行政計画を指す。実際は必ずしもすべての自治体がこのような三層構造をとっているのではないが、自治省による1995年調査に基づいた自治体の総合計画策定状況によると、市区町村の75.9%がこの構造を採用しており、市レベルでは85.5%が採用していることから、この形式を総合計画の概念のイメージとしても大きな問題はないと考える。
1.総合計画の沿革
本節では、各年代における総合計画の当時指摘されていた課題を探る。まず、1969年の地方自治法改正時の議論を概観し、次に各年代について言及する。
1-1 69年以前の状況と、地方自治法改正の背景(基本構想策定が必要とされた背景)
今日の市町村総合計画の起源を辿ると、1953年の『町村合併促進法』に基づく『新町村建設計画』にその萌芽を見ることができる[3]。ついで、1956年には『新市町村建設計画』が制定され、市町村合併においては『新市町村建設計画』が策定されることになった。53年の『新市町村建設計画』はもっぱら町村の施設整備計画だったのが、『新市町村建設計画』においては10年スパンの基本計画と5年スパンの実施計画が策定され、市政の基本方針を示すものとして期待されていた。しかし、実際は「新市町村建設補助金」を受けるための性格が強い」[4]計画であったようである。その後、行政活動の合理化や地域開発の推進など自治体における総合的な計画行政の必要性の認識が高まり、1966年、自治省の委託を受けた国土計画協会は『市町村計画策定方法研究報告』を発表した。これは、今日の自治体総合計画とその運用手法の原型を提案したものとされる。ポイントとなる内容としては、三層構造の提案、行財政合理化計画の役割の重要視、住民参加の促進などであった。その後、この研究報告における基本構想の制度イメージを参考として、1969年地方自治法の改正により、議会の議決を経た基本構想の策定が設けられた。
一応、市政の長期方針である基本構想の策定が市区町村に認識されたのは、1969年以降となるようである。ただ、市区町村でもっとも早期に策定されたものとしては、基本構想が1950年、基本計画では1954年であった[5]ことから、実質的にその内容を満たしていたものはそれ以前にも存在したようである。
1-2 70年代の市町村総合計画
@ 70年代における市町村総合計画への評価は、期待に満ちたものであった。市町村が主体的に市政の向かう先を決定することへの可能性の指摘が多くなされている。この期間に約7割の市町村が基本構想を策定している。
1‐3 80年代の市町村総合計画
1980年代には、9割を超す自治体で基本構想の策定がみられ、総合計画は定着の時期を迎えた。この点について、自治体の主体的な計画策定の姿勢が評価されている。
この時期は、高度経済成長を背景とした公害などの地域開発の弊害が強くクローズアップされた時期であり、価値観のゆり戻しがあった時期である。この期間には多くの自治体で基本構想の改定がなされており、その内容も経済重視から生活重視への移行が見られる。所沢市総合計画においても、第一次と第二次では目次の順番が大幅に変わっており、その志向が見られるようである。
1‐3 90年代の市町村総合計画
1990年代には、自治体の総合計画に関する諸議論やその課題について、言及されることが少なくなった。これは総合計画が各自治体で定着化し、ある程度の成熟期を迎えたということである[6]。
しかしながら90年代後半になるとより先進的な独自の対応を図った先進自治体が登場してくる。三重県は97年、岩手県は99年に総合計画を策定し(当然策定作業はそれ以前からなされている)、行政評価手法の積極的導入など実効性を高める工夫、予算策定との連動を図っている。
2.現在、総合計画が変革が求められるに至った理由の考察
ここまで、総合計画の沿革を概観してきた。総合計画は70~80年代と発達、普及し、90年代前半にはある程度の成熟を迎えた。しかしながら、90年代後半になり一部先進自治体で変革を図る動きが出ることとなる。これとつながる形で、現在の変革への要請が存在しているのである。
では、なぜ総合計画は変革を求められているのだろうか。私はその理由を自治体を取り巻く環境の変化にあると考える。
その内容を4つの観点から指摘していく。行政改革の機運、地方分権の進捗、社会環境変化の激化、自治体財政の悪化である。
@ 行政改革の機運とはいわゆるNPM改革の提唱と流行である。最初に提唱されたのは三公社の民営化を提唱した1981年の第二次臨調であるといわれている。昨今では、市町村自治体もPFIなどのNPM流の新手法を取り入れており、ここ10年スパンの環境の変化といえるだろう。総合計画への影響としては、改革で求められる成果主義的思考の行政評価手法と絡み、計画内容、進行管理などの実効性を図るなどの取り組みが先進自治体で行われている。例えば三重県は、90年代中盤からNPM改革をスタートし、その流れの中で総合計画と行政評価手法の連携という形を整備している。
A 地方分権の議論とは、1999年の地方分権一括法(2000年施行)や三位一体の改革などに代表される地方に権限・財源を移譲し地方への分権を図ろうという動きである。これは自治体にとって大きな環境変化といえる。中央主体の縦割りの行政運営を排し、自治体の政策形成能力の向上や地域固有の政策作りを目指す必要性を考えると、これまでとは異なった独自の計画策定が必要となる。
B 社会環境変化の激化。例えば、経済成長の終焉と不況期の長期化であるとか、IT技術の発展や、少子高齢化問題の予想を越えた悪化などが挙げられる。総合計画との関係では、その長期硬直性が指摘され、時代の変化に対応したその時点でのより緊急的・重点的な課題に短期の行政計画でこたえる必要性があるとの意見が一部から出ている。
C 自治体財政の悪化とその問題に対して否応なく対応を図らなくてはならない現実がある。今、自治体は過去のように多くの総花的政策を実行するほどの財源を持っていない。それならば、廃止する事業、縮小する事業、逆に財源の制限がある中で重点的に進めていく事業など取捨選択をしていかなくてはならないのである。追い込まれたらやるしかない。
岐阜県多治見市は、H15年に開催された第五回都市経営セミナーの事例報告[7](報告者・健康福祉政策課長)において、第五次総合計画(H13〜H22)策定の際、第四次総合計画を振り返って二点の問題を挙げた。一つ目が、総合計画への意識の薄れであった。使うことより作ることが目的になっていたという反省である。つまり計画の実効性への問題意識以前の認識であったということになる。二つ目が、総合計画と予算編成の関係が連動していなかったことへの反省である。これを踏まえて多治見市では、総合計画−予算編成−行政改革を結びつけた制度設計を構築し、総合計画をそのサイクルの中に利用できる形で位置付けたとしている。ここで紹介した事例報告の末尾を少々長いが、引用する。「無計画な行政運営というのは、許してもらえない時代になっておりますので、なにをどのように改革するか、そして行政の役割をどこに置くか、いかに無駄を削ぎ落とすかということをしっかり我々が考えないと自治体職員の存在意識すら厳しく問われる時代であり、自らの給与体系ですらスクラップの対象になり得る事を肝に銘じなくてはなりません。そうならないために、計画的で責任のある行政運営を行わなければならないのではないでしょうか。そして、総合計画は、決して美しい未来を書くなとはいいませんけれども、もう少し現実的な総合計画になるべきではないかなと思います。」
先進自治体の事例ではあるが、変革が迫られた現実と、それに対応するべく動いている姿がみてとれる。
結論
ここまで、自治体総合計画が現在変革を求められている理由を探った。結論として、ここ10年スパンの自治体を取り巻く環境の変化にその理由を求める事ができそうである。この結論を受けて、次に考えるべき事は、自治体の行政計画の今後の理想的あり方である。ここまでは既存の体系である総合計画を所与のものとして語ってきたが、一方で一部では総合計画の存在そのものへの疑義が提唱されているという事実もあり、激化する変化の中で10年〜20年の長期計画の策定をすることの意味を考える必要がある。総合計画は現在の体系での変革で足りうるのか、それともまったく新しい体系での計画策定が望まれているのか、という議論も必要になるであろう。
以上。
[1] 多摩市HP 〜多摩市第四次総合計画審議会のページhttp://www.city.tama.tokyo.jp/machi/keikaku/soukei/singi/index.htm
多治見市HP
[3] 参考『自治体と総合計画』2002 財団法人 日本都市センター p4
[4] 「地方自治体における基本的政策形成手続きの動向」『自治研究』 1990 遠藤文夫
[5] 参考 日本都市センター2001年実施アンケート結果
[6] 参考 『自治体と総合計画』2002 財団保人 日本都市センター
[7] 参考 『日本都市センターブックレットNO.9 財政危機下の自治体改革』2004
財団法人 日本都市センター