自治制度演習
杉崎雄介
住民満足度向上のための庁内マネジメント改革
はじめに(全体的な問題意識)
近年、行政を取り巻く環境は大きく変化している。
中央・地方財政が共に財政赤字増大のために逼迫している一方で、少子高齢化の進展によって将来の人口減少による税収減と医療福祉費の増大という問題が日々差し迫っている。
また、高度経済成長とバブル期を経て物質的需要は満たされ社会は成熟化したと言われている中で住民のニーズは多様化し、画一的なサービスでは必ずしもそれに十分に応えられないという状況になった。
そうした社会の成熟化に関連して、環境問題を代表とする新しい公共的課題がピックアップされるようになり、行政としてこれらの課題に取り組む必要性が生じた。
その他にも、IT化の進展によって窓口の電子化や積極的な情報公開などへの取り組みが行政に求められている。
また東京一極集中と地方の疲弊、過疎化はいまだに歯止めがかからず、地域間格差はますます顕著になっている。
これらを鑑みるとすなわち中央・地方行政が共に直面している喫緊の問題とは、財政的な制約が強まっていく中で行政需要が高まり続けている、ということである。よって行政には、限られた財源を効率的、効果的に活用し、多様な住民ニーズを満たしていく、ということが求められていると考える。
この問題を解決するために私が重要であると考えるキーワードは、「地方分権」と「自治体経営」である。
まず「地方分権」が重要な理由であるが、これは多様な住民ニーズに応えるため、ひいてはそれによって特色のある地域づくりを行い、地方を活性化するためである。
冒頭で述べた諸問題は全国の自治体が抱える共通の問題ではあるが、自治体ごとにその状況は異なり住民ニーズも異なるはずである。そうなれば当然、自治体ごとに政策の内容や優先度も異なる。よってそれぞれの自治体が自主性を持ち、それぞれの地域住民のニーズを十分に把握した上で的確に施策を打ち出していくのがあるべき姿であると私は考えている。
しかしながら国との関係によってそれには制限があるのが現実である。2000年4月に施行された「地方分権一括法」によって機関委任事務の廃止をはじめとした自治体への権限移譲が行われたが、税源移譲についてはその後の「三位一体改革」を通じても不十分であった。そのため自治体の自主税源は3割半ば程度で、残りを地方債と国からの財源移転に依存している。よってより自主性の高い自治体行政を実現するために、税源移譲を中核と
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したさらなる地方分権の進展が必要であると考える。
次に「自治体経営」である。地方分権によって自治体に権限と財源が委譲されれば、自治体はそれぞれの住民ニーズに応じた自主的な取り組みが可能になる。そうなれば自治体は移譲された権限と財源を効率的、効果的に利用すべく経営体として機能していかねばならない。なぜならば自治体には権限と財源と共に「責任」も与えられ、自主性が高まった分、結果に対しても自己責任を負う必要があるからである。
そうした状況ではやはり漫然と行政を「運営」するのではなく、効率性・経済性・有効性を意識した「経営」感覚が求められる。そして、そうした「自治体経営」の実現によって「責任」を果たす相手とは、地域の住民なのである。
よって自治体は経営感覚を持つことは必須としつつ常に住民ニーズ、住民満足を第一に念頭に行政を行い、効率性・経済性・有効性の追求はあくまでも二次的な要素として捉えるべきであると私は考えている。
以上のような問題意識の下、「住民満足の向上」をこれからの自治体の中心的課題と捉え、その実現のための「住民満足の向上」を中心とした自治体のマネジメント・サイクルの構築に向けて、そのエッセンスを明らかにしていく。
1. 住民満足の展開
(1)NPM (New Public Management)によるパラダイム転換
行政において「住民満足」が語られるようになった背景にはNPMの隆盛がある。NPMとは、「民間企業における経営理念・手法、さらには成功事例などを可能なかぎり行政現場に導入することを通じて行政部門の効率化・活性化を図る」(※1)ものであり、1980年代の半ば以降、イギリス、ニュージーランド、カナダをはじめとするアングロ・サクソン系諸国を中心に形成された行政運営理論である。
NPMが登場した背景には、マクロ経済の停滞、およびこれに起因する財政赤字・政府の累積債務問題、公共部門のパフォーマンスの悪化、そして社会・経済の成熟化や高齢化の進展に伴う行政需要の増大などがある。これらは日本を含め先進国に共通して観察される。
NPMは改革の方向性や範囲、スピードによって各国ごとにそれぞれ特徴があるが、共通の要素として次の4点に集約される(※2)。
@業績・成果による統制:経営資源の使用に関する裁量を広げる(Let Managers Manage)代わりに、業績・成果による統制を行う。
A市場メカニズムの導入:公的企業の民営化、広義の民営化(民間委託やバウチャーなど)、エージェンシー、内部市場、PFI(Private
Finance Initiative)など市場メカニズムを可能な限り活用する。
B顧客主義への転換:住民を行政サービスの顧客とみる。
Cヒエラルキーの簡素化:統制しやすい組織に変革する。
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この中で特に重要なのは@およびAであり、BおよびCはシステム統制の基準であり手段に過ぎないとされている。
以上がNPMの概要であるが、ここで押さえておくべきはNPMによって起きた2つのパラダイム転換である。それは「管理から経営へ」という行政のあり方の転換と、「住民から顧客へ」という住民の捉え方の転換である。
特に後者に関して、行政サービスの分野においてはNPMの登場までサービスの受け手である住民を顧客とみる考え方はあまりなかった。これは、ほとんどの行政サービスはサービスの受け手である住民から個々のサービスに応じた料金を個別に徴収しているわけではないので、住民を「顧客」として意識する必要がなかったためである。しかしNPMによって行政に民間企業の経営理念・手法が取り入れられたことで、民間企業における「顧客」と同様に住民を捉え、その立場から行政を行うことが明示されたと言える。
このパラダイム転換によって顧客満足度調査やマーケティングなど民間企業における経営的手法の行政への導入が試みられることになり、顧客満足になぞらえて「住民満足」および「住民満足度調査」という言葉が登場した。
住民を民間企業における顧客と同様に捉えることについては性質上の問題から議論のありところであるが、それについては別段でまた取り上げる。
(2)日本における展開
日本においてNPMが広がったのは1990年代である。これは他の先進資本主義国に比べて遅いが、その要因としては次の2つが挙げられる(※3)。
まず1つは自治体の財政危機である。
バブル期に展開された大機規模な開発・建設事業や、バブル崩壊後に景気対策として進められた公共事業によって地方債が増発され、自治体の財政難が叫ばれるようになった。その危機的状況表す数字としては、自治体における公債依存度は平均18%、その借入金残高は204兆円に達している(2004年度)。また、公債負担比率については平均19%(2002年度)である。
このような財政危機を克服するためにいくつかの自治体がNPM的手法を導入したのが全国的な普及のきっかけとなった。1990年代後半における三重県の事務事業評価システムや静岡県の業務棚卸法などはNPM型の行政評価制度を導入した先行事例である。
また総務省も1999年に「地方公共団体における行政評価についての研究会」を立ち上げるなどして改革の手法として行政評価制度を導入することを度々呼びかけるなどしている。こうした国による呼びかけも行政評価制度を柱としたNPMの自治体への導入の大きな要因の1つであろう。
2つ目は地方分権である。
地方分権の動きは90年代前半から続いていたが、2000年、「地方分権一括法」が施行されたことにより大幅な進展をみる。機関委任事務の廃止、国・地方間の協議・関与のルールの一般化、必置規制の大幅緩和、国地方係争処理委員会の設置などにより自治体への権限移譲が行われた。これにより地方自治体は従来の国の出先機関という立場から脱し、形式上は国と対等の立場になった。もちろん税源移譲については十分と言えず、その点で
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は実質的には完全に対等とは言えないが、従来の国・地方関係から見れば大きな一歩であ
った。税源移譲については今後の推移を注意深く見守っていかねばならない。
権限移譲が行われれば自治体の自主的裁量の余地が増すが、その分背負う責任もこれまでより明確になる。そうなれば、これまでのような「与えられたものをどう配分するか」
という「管理的手法」から、「手持ちのものをどう活用するか」という「経営的手法」への
転換が必要になる。そうした潮流の中で「自治体経営」という考え方が広がった。すなわち自治体も1つの経営体として自身の経営に責任を持ち、組織や業務の効率化・適正化、行政サービスの向上に励み、住民満足を向上させるべきであるということである。日本におけるNPMの解釈であると理解して良いであろう。
2004年に地方分権改革推進会議から提出された最後の「意見」では、「新しい行政手法」としてNPMを説明しており、「住民を行政サービスの顧客として捉え、行政部門への民間的経営手法の導入を図る」考え方としている。ここでは「住民=顧客」がはっきりと明示されているのである。
住民満足度についてもその向上を掲げる自治体が増え、民間企業における「顧客満足(Customer Satisfaction=CS)」及び「顧客満足経営(Customer Satisfaction Management=CSM)」の概念を参考に、住民満足度調査をはじめ市政モニター、パブリック・コメント、市民の声システムなど、住民ニーズを把握するための取り組みが行われている。
ただしこれは私見であるが、日本におけるNPMの動向を見ると、2つのパラダイム転換のうち、「管理から経営へ」については行政のテーマとして明確に打ち出している自治体が多いのに対して、「住民から顧客へ」についてはあくまで前者の付随的要素に留まっていることが多い。これは自治体の取り組みにおいて「効率性の追求」と「住民満足度の向上」が別個のもとして捉えられているからである。そのためそれぞれの施策が独立し、マネジメント・サイクルとして有機的に結びついていない例も多々ある。
その要因としては財政危機をきっかけとしたことから、業務の減量化やコスト削減に重点が置かれていることが挙げられると私は考える。国からの呼びかけをきっかけに形式的に評価制度などを導入している自治体もあるであろう。また地方分権についても、地方への税源移譲がなかなか進展しないという事象に顕れているように、イニシアチブを国が持っているという感が拭えない。そのため自治体が分権の受け皿として自主的に経営改革を行うインセンティブが弱いのではないか。
強調されすぎた行政の減量化やコスト削減、また自己目的化した評価制度の導入ではなく、あくまでも「住民のため」を第一に、他の要素はその実現のための手段であるべきであると私は考える。「効率性」と「住民満足度」の両者が真に有機的に一体化したマネジメント・サイクルの構築がこれからの自治体の課題である。
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注
※ 1、2 大住荘四郎 『ニュー・パブリック・マネジメント
理念・ビジョン・戦略』
※ 3 岡田章弘 『NPMの検証−日本とヨーロッパ』 第1章
参考文献
『NPMによる自治体改革〜日本型ニューパブリックマネジメントの展開〜』
白川一郎・(株)富士通総研経済研究所編著
財団法人 経済産業調査会発行 2001年
『ニュー・パブリック・マネジメント 理念・ビジョン・戦略』
大住荘四郎著
株式会社日本評論社発行 2003年
『地域と自治体第30集 NPMの検証−日本とヨーロッパ』
岡田章弘・自治体問題研究所編
(株)自治体研究社発行 2005年
『概説 日本の地方自治[第2版]』
新藤宗幸・阿部斉著
財団法人 東京大学出版会発行 2006年