自治制度演習最終レポート
2004年5月15日
学籍番号45041011−2
公共経営研究科1年
大平公一
テーマ「1990年代における地方分権論の背景」
1.はじめに
本レポートの目的は、なぜ地方分権が必要なのかについて考察することである。
2000年に地方分権一括法が施行され、475本の法律が改正された。この改革はこれまでの中央集権体制から地方分権システムへと移行した改革である。これまで、たびたび地方分権の必要性について論じられてきたが、本格的に議論されたのは1990年代の初頭である。現在、地方分権に関する議論の論点は、分権すべきであるということは当然とされ、どのように分権すべきかといものである。しかし、これからどのように分権すべきかということを議論する際に、あらためてなぜ分権なのか、分権する必要があるのかについて検討したい。なぜならば、今回の分権改革は「混声合唱」と言われているように、地方分権にどのような意味が込められているのかはっきりしない。そこで、なぜ地方分権なのかについて明らかにすることは、今後の分権改革を考える上でも重要となる。
このような問題意識から、初めに1990年代の初頭から地方分権一括法制定までの流れを整理する。次に、地方分権に関する様々な答申を整理し、なぜ地方分権が必要なのかについて検討する。
2.1990年代初頭から地方分権一括法制定までの流れ
地方分権は戦後改革の一環として行われた地方制度改革以降、常に論じられてきた。しかし、抜本的な分権改革がなされることはなかった。そのような状況の中で、1980年代の後半から急速に地方分権改革の論議が活発となった。そして、本格的な分権改革への取り組みとして地方分権推進法が制定された。そこで、以下では地方分権推進法制定までの経過と地方分権一括法制定までの流れを整理してみたい。
1993年に衆参両院で地方分権の推進に関する決議がなされた。ここから本格的な分権改革が始まる。この決議をふまえ93年9月に第三次行政改革審議会が最終答申を提出し、地方分権推進に関する法制化の動きが始まる。
このようなプロセスを経て1995年に地方分権推進法が成立した。この法律に基づき地方分権推進計画が策定され、地方分権推進委員会が発足した。地方分権推進委員会は中間報告を提出し、ならびに5回にわたる勧告を提出した。そして、この勧告に基づき地方分権一括法が制定されたのである。
3.地方分権論の背景
以上のようなプロセスを経て地方分権権一括法が制定されたのであるが、では、当時なぜ地方分権改革が必要とされたのであろうか。結論から述べると、地方分権が推進される理由は、国際環境の変化そして国内の社会経済環境の変化という時代認識の下に、これまでの中央集権型システムではその変化に対応できないということである。また、その中央集権型システム自体から様々な問題が生じていたためであると考えることができる。
以下では、地方分権推進に関する具体的な要因について検討する。
(1)地方分権推進の要因.1―各種答申等を中心にー
地方分権に関する各種審議会の意見をまとめると地方分権の必要性は@東京一極集中の是非、A生活の質向上・成熟化社会の到来、B国際化への対応、C政治改革、C行政改革の5つの観点から指摘されていた。
@東京一極集中の是非の観点
東京一極集中の是非の観点から、地方分権を唱えた答申は第二次臨時行政改革推進審議会(以下、第二次行革審とする)の「国と地方の関係に関する答申」、第三次臨時行政改革推進審議会(以下、第三次行革審とする)の「最終答申」、地方制度調査会の「地方分権の推進に関する答申」、民間臨時行政調査会(以下、民間政治臨調とする)の「地方分権に関する緊急提言」がある。
このような各種答申の内容を簡潔に述べれば、東京一極集中は東京と地方の経済的、社会的、文化的な格差を拡大させているので、この格差を是正するためには分権化が必要であるということである1)。すなわち、東京と地方の格差が拡大する原因は中央集権型システムにあるということである。なぜならば、中央集権型システムでは、首都である東京に権限が集注しているからである。つまり、東京に権限が集中していることは、それに付随して人、物、金も集ることになり、東京と地方の間に様々な格差が生じるということである。そこでこの格差を是正するために、権限を地方公共団体に移譲することが必要とされたのである。
A生活の質の向上・成熟化社会の観点
このような観点から分権の必要性を論じた答申には、第二次行革審の「国と地方の関係に関する答申」、第三次行革審の「最終答申」、地方制度調査会の「地方分権の推進に関する答申」、行政改革推進本部地方分権部会本部専門委員の意見(以下、行革推進本部とする)、民間政治臨調の「地方分権に関する緊急提言」がある。
このように、生活の質の向上・成熟化社会の観点から地方分権を論じた答申のなかで、その趣旨を最も端的に指摘していると思われる答申は、第三次行革審の「最終答申」である。この答申では地方分権の必要性について「国民の意識、価値観が大きく変わり、経済力に見合った生活の質の向上や個性的で多様性に富んだ国民生活の実現が強く求められている。これらに対応するためには、集権型行政システムから脱却し、分権型行政システムに転換する必要がある。」としている。つまり、中央集権型システムでは国民の価値観の変化に対応することができないということである。
B国際化への対応の観点
このような観点から地方分権の必要性を指摘した答申は、第三次行革審の「最終答申」2)、地方制度調査会の「地方分権の推進に関する答申」、行革推進本部の意見、民間政治臨調の提言である。
その内容は、冷戦の終結や湾岸戦争などにより国際環境が急速に変化したが、その変化に敏速に対応するには、内政は地方公共団体に任せ、国は外交や安全保障などに特化する必要があるということである。つまり、これまでの中央集権型システムでは国際情勢の変化に敏速に対応することができないということである。
C政治改革の観点
政治改革の観点から地方分権の必要性を論じた答申は、行革推進本部の意見、民間政治臨調の提言である3)。
その要旨は、政治腐敗が発生する原因は集権的政治・行政構造の下で行われる利益誘導政治によるものであり、この利益誘導政治を断ち切るには分権化する必要があるということである。つまり、中央主権体制が利益誘導政治という政治腐敗を発生させる原因となっている。そこで、この政治腐敗を解消するためには分権化が必要であるということである。
D行政改革の観点
この観点から地方分権を主張している答申は、臨時行政調査会の「行政改革に関する第三次答申」、第一次行革審の「行政改革の推進方策に関する答申」、第二次行革審の「国と地方の関係等に関する答申」、行革推進本部意見である。
行政改革の観点からの地方分権について、臨時行政調査会は「国民が求めている行政改革をすすめるためには、国民に身近で、かつ総合的な行政主体である地方公共団体、特に市町村の在り方を中心にとして、国・地方の関係を全般的に見直す必要がある」としている4)。これは、中央集権型行政システムでは国民が求めている行政システムを設計することができないということである。
(2)地方分権推進の要因.2
以上のように、地方分権に関する各種の答申によれば、分権推進の要因は上記の五つにしぼることができる。しかし、地方分権推進の要因については答申以外でも様々な意見が述べられている。その中で注目されるのは、高齢化社会の到来と豊な生活の実現という二つの要因である。
高齢化社会の到来に関して新藤宗幸によれば、従来の日本の福祉行政は集権的システムであり、高齢化社会には集権的行政システムでは対応できないため、分権が必要とされたとしている5)。すなわち、日本は1970年代以降、急速に高齢化が進行し、「高齢化社会」(65歳以上の人口が全人口の7パーセントに達した段階)が到来した。このような高齢化社会における福祉行政は、より住民に身近な行政機関で行われる必要があるということである。
確かに高齢化社会の到来も地方分権推進の要因として考えることができる。なぜならば、今回の分権改革に先立って、福祉行政に関する権限が国から地方公共団体に移譲されていたからである。すなわち、1986年に成立した「地方公共団体の執行機関が国の機関として行う事務の整理合理化に関する法律」において、福祉行政関係の事務が機関委任事務から団体事務とされ自治事務とされていたのである6)。このような意味で考えると、高齢化社会の到来は地方分権推進の要因であると考えることができる。
次に、豊かな生活の実現とは、1980年代に「豊かさとは何か」ということが言われ、人々が日常の生活に満足できないという問題が浮上した。戦後日本は経済発展を目指し、高度経済成長を達成して経済大国となった。しかし、経済的には豊かになったのであるが、日々の生活に豊かさを実感できない人々が多く、その原因は中央集権型システムにあると考えられたのである。すなわち、人々が日常の生活に豊かさを実感できないのは、地域の生活に関することを地域で決定することができないからであると考えられたのである7)。そこで、地域のことは地域で決定するという分権型システムが必要とされたのである。この点に関しては、地方分権の推進に関する決議でも述べられている8)。
4.おわりに
このように地方分権を推進する具体的な理由は、東京一極集中の是正、生活の質の向上・成熟化社会の到来、国際化への対応、政治改革の一環、行政改革の一環、高齢化社会の到来、豊かな生活の実現等であった。このような理由を簡潔に述べれば、これまでの中央集権型システムが限界に達していたということである。
そこで、地方分権を推進するこのような要因を中央集権型システムとの関係で整理すると、二つに分類することができる。一つは、生活の質の向上・成熟化社会の到来、国際化への対応、高齢化社会の到来という分類である。これは、国際情勢の変化や国内の社会・経済環境の変化に中央集権型システムでは対応できないということを意味する。もう一つは、東京一極集中の是非、政治改革の一環、行政改革の一環、豊かな生活の実現という分類である。これは中央集権型システム自体から様々な問題が生じていることを意味している。例えば、先に説明したように、利益誘導政治は中央集権型システムから生じる問題である。
以上のようなに、1990年代に地方分権が必要とされた理由は、国際情勢の変化、国内の社会・経済環境の変化には中央集権型システムでは対応することができず、その変化に対応するために地方分権が必要とされたのであり、またその中央集権型システムから様々な問題が発生しており、その問題を解決するために地方分権が必要とされたのである。
1)第三次行革審の「最終答申」(平成5年10月27日)は、東京一極集中の是正について「東京圏への一極集中や経済的、文化的な地域格差の拡大が、国土利用の不均衡を生み、社会経済のゆとりある発展を阻害するのみならず、我が国の将来に大きな問題を投げかけている。」としている.
2)国際化への対応について、第三次行革審の「最終答申」は「冷戦構造の終結や、地球的規模の新たな課題の顕在化など国際環境が激変する中で、我が国が今後、国際社会においてどのように生きていくか、その国力にふさわしく責任をいかにして分担していくかといった問題の重要性が飛躍的に高まってきている。こうした状況を踏まえ、国は外交、安全保障を始め国の存立にかかわる課題により重点的に取り組む体制を築く一方、地域の問題は住民の選択と責任の下で地方自治体が主体的に取り組めるようにする。」としている。
3)政治改革の観点に関して、民間政治臨調の「地方分権に関する緊急提言」(平成4年12月22日)は「スキャンダルが発生する重要な理由の一つは、集権的政治・行政構造の下で政治家が集票のために地元へ利益誘導していることにある。同時に、地元もまた政治家に数々の事業の誘致を依存していることにある。分権化は、この利益誘導政治を断ち切る有力な方法であり、政治倫理の回復を促す。」としている。
4)詳細については、地方分権推進委員会資料集(1)P.336以下参照のこと。
5)詳細については、新藤宗幸『地方分権 第2版』(岩波書店,2002)P.7以下参照のこと。
6)具体的には、身体障害者福祉法、老人福祉法、児童福祉法、精神薄弱者福祉法(知的障害者福祉法)の17項目が機関委任事務から団体事務へとされた。
7)詳細については、新藤宗幸『地方分権 第2版』(岩波書店,2002)P.7以下参照のこと。
8)この点に関して地方分権の推進に関する衆議院決議(平成5年6月3日)は「今日、様々な問題を発生させている東京への一極集中を排除し、国土の均衡ある発展を図るとともに、国民が等しくゆとりと豊かさを実感できる社会を実現していくために、地方公共団体の果たすべき役割に国民の強い期待がよせられており、中央集権的行政のあり方を問いなおし、地方分権のより一層の推進を望む声は大きな流れとなっている。」としている。
《参考文献》
・小早川光郎・小幡純子編「あたらしい地方自治・地方分権」ジュリスト増刊(有斐閣,2000)
・新藤宗幸『地方分権 第2版』(岩波書店,2002)
・西尾勝『未完の分権改革』(岩波書店,1999)
・日本行政学会編『年報行政研究31 分権改革―その特質と課題―』(ぎょうせい)
・地方分権推進委員会資料集(1)