都道府県制度改革案の概要とその問題点について
大学院公共経営研究科
45031034-5 西 村 務
(1) はじめに
都道府県のあり方がふたたび問われようとしている。平成の市町村合併の進展により市町村の「かたち」がかつてないほどに大きく変わろうとしている中で、その衝撃は都道府県にまで及ぼうとしている。また、産業廃棄物処理の問題、総合的な地域交通網の整備の必要性等、都道府県域を超えた新たな行政課題の発生により、既存の都道府県の枠組みを越えた広域的な行政対応が求められる局面も増加している。
そこで、この課題においては、今後のあるべき都道府県制度あるいは広域自治制度を考察するにあたって、過去いくたびかにわたって提言された府県制度改革案の内容を概観するとともに、問題点についても明らかすることとし、得られた成果を今後の研究につなげていきたいと考える。
ところで、府県制度の改革をめぐっては、戦前期にもいくつかの改革案が提言されているが、ここでは、過去に数多く提言された改革案のうち、もっぱら戦後において提言された改革案のうちその主要なものを考察の対象とすることにしたい。その理由は、@戦前と戦後では、同じ府県であってもその性格が異なること、A今後のあるべき都道府県の姿を考えるために過去の改革案を考察するという観点に立てば、その改革案は現行の府県制度を対象としたものであることが望ましいと思われることにある。
(2) 主な改革案の考察
以下では、個々の府県制度改革案について、時代を追って考察していくことにしたい。
1)いわゆる「地方制案」と「府県統合案」(第4次地方制度調査会答申(1957年))
戦後の道州制論議の頂点をなした(天川、1986)とも言われているのが、1957年(昭和32年)に答申された第4次地方制度調査会の「地方制度の改革に関する答申」であった。
この答申においては、広域的な地方行政推進のためには現行府県の区域は狭隘であり、全国的に一定水準の行政を確保する観点からは戦後導入された府県の性格変更と知事公選制は問題があるとし、府県を廃止し、以下のような新しい団体を設置することを求めたのであった。いわゆる「地方制案」である。
その概略を見てみると、@国と市町村の間に中間団体としての「地方」を設置すること、A「地方」の性格は地方公共団体としての性格と国家的性格とをあわせ有するものとすること、B「地方」の区域は、全国をブロック区分した区域によること、C議決機関として公選議員で構成する議会を設置すること、D執行機関として、「地方長」を置くこと、E「地方長」は、「地方」議会の同意を得て内閣総理大臣が任命する国家公務員であること、F「地方」の区域を管轄区域とする国の総合地方出先機関「地方府」を設置すること、G「地方府」の首長は「地方長」をもってあてること、というものであった。(自治大臣官房総務課編、1970)
一方、この答申には、少数意見があわせて盛り込まれることになった。いわゆる「府県統合案」である。異例とも言うべき答申への少数意見の添付がなされた経緯、答申をめぐる採決の状況等はここでは省略することにして、以下で「府県統合案」の概要をみることにする。
「府県統合案」では、戦後の改革により府県が完全自治体と位置づけられた点については、いささかも変更すべきでないとの立場から、府県の区域について、時代の進展に合わせて、広域的な行政の効率的な処理体制の確立のため、おおむね3、4の府県を統合して、府県の区域を再編成するというものであった。また、この案では、統合後の府県における知事公選制と議会議員の直接選挙制の継続を求めていた。(自治大臣官房総務課編、1970)
以上のような両案について、筆者の所見を述べるならば、次のとおりある。すなわち、「府県統合案」については、地方自治の推進の観点から考えるならば妥当な提言と言うことができ、また現在の府県制度のあり方を考える際の今日的意義は失われていないということである。
2)「東海3県統合構想」(中部経済連合会(1963年))
次に取り上げるのが、中部経済連合会から提言されたいわゆる「東海3県統合構想」である。(以下適宜、中経連、1963を参照)
この案は、中部経済連合会が、先の第4次地方制度調査会答申における少数意見の取りまとめの中心的人物であった東京大学法学部の田中二郎教授に調査を委嘱したものであった。以下に、その中身の概要について見ていくことにする。
この構想は、先の第4次地方制度調査会答申における少数意見、いわゆる「府県統合案」の考え方をもとに、愛知、岐阜、三重の東海3県の統合について、具体的に検討を行ったものである。ここでは、東海3県の自然的、社会的条件の分析から、行財政の現状分析、現下の行政課題の検討など、仔細に調査が行われ、広域的行政の効率的運営と地方自治の本旨の実現のための具体的な方法として、3県の統合が提唱されているものである。
この構想は、提言主体が財界であったことが特徴である。同時期に、同じような提言が、関西経済連合会からいわゆる「阪奈和合併構想」として出されているところである。
3)「府県合併案」(第10次地方制度調査会答申(1965年))
先に見た「東海3県統合構想」から2年の後、府県制度改革案として第10次地方制度調査会から答申されたのが「府県合併に関する答申」、いわゆる「府県合併案」である。(自治大臣官房総務課編、1970)
第4次の答申から8年を経過した後に出されたこの答申は、府県廃止の立場から一転して府県が広域的地方公共団体であることを踏まえ、広域的な行政処理の要請に基づくため、現行府県の自主的な合併の推進を求めるものであった。具体的には、いわゆる「府県合併特例法案」を提言し、政府もまた、「東海3県統合構想」や「阪奈和合併構想」を推進するため、その法案を国会に提出したのであったが、成立するには至らなかった。
また、ここでも当事者たる府県が、消極的な姿勢を取り続けたことが、府県合併が実現しなかった要因のひとつとして考えられるのではないだろうか。
4)「道州制案」(関西経済連合会、日本商工会議所(1969、1970年)
財界からの提言は、この後も引き続き出されたが、代表的なものは、関西経済連合会、日本商工会議所から提言された「道州制案」である。(以下、適宜、田中ほか編、1970)
その内容を概観すると、@自然的、社会的、経済的条件等から全国をブロック別に区分して地方公共団体としての「道・州」を設置する、A「道・州」の設置に伴い府県は廃止する、B住民の直接公選による知事と議会を置く、というものであった。
財界からの道州制に関する提言は、主に経済上の要請から行われたものと考えられるが、この後何度も出され、現在に至るまで数多くのものがあり、その中身は道州制あるいは連邦制を推進するものが中心である。(ごく最近の例として、例えば、社団法人中部経済連合会、「道州制移行への提言−自立型行財政体制の確立に向けて」2002年10月)
5)「連邦制案」(恒松制治元島根県知事(1993年))と「地域連合国家案」(平松守彦前大分県知事(1997年))
1980年代から1990年代にかけて、これまでになかった新しい提言主体からの都道府県改革案が出されることになった。その代表的なものが、恒松制治元島根県知事による「連邦制案」と、平松守彦大分県知事(当時)の「地域連合国家案」である。
「連邦制案」についてその内容を概観すると、まずすべての権限や仕事を市町村のものとし、市町村域を超えた、より広域的に行った方がよい権限や仕事を行うために、市町村が広域的な政府を自ら組織し、そこに寄託する、そうしてできるのが新しい広域自治体としての「州」である。
具体的には、@全国を8つの「州」に区分し、A公選かあるいは議院内閣制による首長を置く、B一院制あるいは二院制の議会を置く、というものであった。(恒松編著、1993)
一方で、「地域連合国家案」も、先に見た「連邦制案」と同じく、わが国の体制を市町村−州−国の連邦国家とする案であった。ただし、その実施方法について、違った方法を提唱しているところに特徴があるといえる。すなわち、この案では九州を事例に取り上げ、@国の地方機関を統合して、公選の九州府長官を首長とする「九州府」をつくる、A「九州府」に九州各県を統合する、というものであった。(平松、1997)
いずれの案も、アメリカ、ドイツ等の連邦制度を参考にした連邦制をわが国にも適用しようとする提案であった。これらの案は、府県自身の側からの提言であった点に、従来からの道州制案、府県合併構想との違いが認められるといえる。
6)「道州制」案(北東北広域政策研究会中間報告書(2003年))
さらに、近年、都道府県の広域化構想においてさらに一歩すすんだ提言が出され始めている。すなわち、青森、岩手、秋田3県による3県合併構想がその代表的なものである。
この構想では、社会の成熟化の進展により行政も全国統一・画一型のサービス(いわゆるナショナル・ミニマム)の提供から、地域のニーズ等に応じた最適な行政水準(いわゆるローカル・オプティマム)の実現に向けた体制を整える必要があるとの認識のもと、第1段階として、青森、岩手、秋田3県の自主的合併、第2段階として、東北6県による道州制への移行を目指すものである。(北東北広域政策研究会、2003)この構想においては、基礎自治体のあり方から広域自治体のあり方等を考察し、これからの広域自治体のあるべきかたちとしては、道州制が最適であるとし、そこに至るまでの段階としての県の自主合併を提唱しているのである。
当該3県においては、この構想をもとに、合併を視野に入れた各種のセクションやシステムの統合について検討を始めているところである。また、合併のための法整備を国に求めているところである。
この事例は、現時点における先進事例を位置づけられるのではないかと思われる。同様の事例として北海道による道州制の提言等がある。
このように、近年は、都道府県の内部からの動きが活発になってきており、都道府県自らがそのあり方を問い直し始めたものとして、評価できるものであるといえる。
7)「都道府県のあり方」(第27次地方制度調査会中間報告(2003年))
さらには、現在、国においても都道府県のあり方についての検討がふたたび行われている。第27次地方制度調査会においては、今秋、今後の地方自治制度のあり方についての答申がなされる予定である。それに先立った中間報告の中で、都道府県のあり方、あるいは今後の広域自治制度のあり方についての論点の整理が行われている。
中間報告の中で、21世紀における都道府県の役割として挙げられているのは次の4点である。すなわち、@国の権限・機能の受け皿としての役割、A地域レベルでの産業、雇用政策を推進する役割、B市町村を包括する広域的地方公共団体としての役割、C市町村が事務を行う際に高度専門的知識や技術の先導的提供をする役割、である。
そして、以上のような役割を充分に発揮するためには、「現在の都道府県の区域の拡大が求められる。」としているのである。そのための方策として、都道府県の自主合併の手続きを定めた法律の整備を求め、将来の道州制導入にも検討を要する旨述べているのである。(第27次地方制度調査会、2003)
(3) まとめ
ここまで、戦後に提言された、都道府県改革案の概要をみてきたが、現在の状況をみれば、都道府県合併であれ、道州制であれ、都道府県の区域を越える新たな広域自治体の実現に向けた条件は整いつつあるといえる。その中で、都道府県の広域化をめぐる状況にも変化がある。すなわち、過去には一貫して反対の立場であった当事者たる都道府県が、近時は推進の立場にたって、先の北東北の例を始めとして、北海道(「道州制検討懇話会報告書」2001年2月)、東京都(「首都圏メガロポリス構想」2001年4月)、神奈川県(分権時代における都道府県のあり方について(最終報告)2003年3月)、四国4県(「広域的自治体の将来像等にについての勉強会」における検討)等、新たな広域自治体のあり方をさぐる動きが、活発化しているのである。
今後は、国の動きを見極めつつ、地方自治の本旨実現のため、広域的行政課題の克服のために有効な広域自治体の構築に向け、都道府県自身のなお一層の努力が求められているといえるだろう。
(参考文献等)
・ 自治大臣官房総務課編『地方制度調査会答申集(第1次〜第13次)』(自治省 1970年)
・ 中部経済連合会『東海3県統合構想』(中部経済連合会 1963年)
・ 田中二郎ほか編『道州制論』(評論社 1970年)
・ 天川晃「変革の構想−道州制論の文脈」大森彌・佐藤誠三郎編『日本の地方政府』(東京大学出版会 1986年)
・ 恒松制治編著『連邦制のすすめ−地方分権から地方主権へ』(学陽書房 1993年)
・ 平松守彦『私の日本連合国家論』(岩波書店 1997年)
・ 西尾勝編著『分権型社会を創る2 都道府県を変える!』(ぎょうせい 2000年)
・ 西尾勝『行政学(新版)』(有斐閣 2002年)
・ 北東北広域政策研究会『中間報告書』(青森県ホームページより 2003年)
・ 第27次地方制度調査会「今後の地方自治制度のあり方についての中間報告」(総務省ホームページより 2003年)