自治制度演習 第1クール第1セメスター
新設合併における旧市町村「ビジョン型」条例の効力
〜 「えさし地産地消推進条例」を新設市「奥州市」にいかに反映させるか 〜
早稲田大学大学院公共経営研究科
草間 剛
岩手県江刺市は人口3万3千人。県南内陸部に位置し、古来の昔より肥沃な大地に支えられ、えさし林檎、江刺金札米、前沢牛の生産など農業県岩手の県内でも有数の生産量を誇り、人口の約3割が農業従事者という東北の一大農業都市である。
この江刺市は本年1月13日から、水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村5市町村の合併協議会に参加し、本年3月28日に開かれた同合併協議会において市長が合併協定書に調印するに至った。これに伴い江刺市議会では3月30日の臨時市議会で「水沢市、江刺市、胆沢郡前沢町、同郡胆沢町及び同郡衣川村の廃置分合に関し議決を求めることについて」など合併関連議案5件を議決し、新設新市への参画を決定したのである。
新設合併市「奥州市」は平成18年2月20日に誕生の予定であり、想定人口は13万3千人で盛岡に次ぐ県内2位であり、面積も9万9千平方kmで一関に次ぐ県内2位。農業産出額は270億円で特に米の農業産出額は年間150億円規模が想定され、県内屈指の田園都市が誕生することとなる。
そのような状況の中、本年4月2日、江刺市における地産地消運動の推進を目的とした「えさし地産地消推進議員連盟」が江刺市議会議員の議長・副議長を除く20名の議員(議員定数22名)の参加をもって結成された。この議員連盟は、本年9月議会に際し市民全体の地産地消の理念共有などを目的とした、「えさし地産地消推進条例」(仮称)の提案を目指し、目下活動中である。しかしながら前述した通り江刺市は奥州市への新設合併を平成18年2月に控え、予定通り9月議会において条例が制定されても施行期間が極めて短い条例となる。同条例は江刺の市民、生産者、消費者、業者、団体とすべてのアクターの農業に対する、またそれを育む豊かな郷土に対する思いが込められるビジョン型条例であり、議員連盟としては同条例の理念、または同条例による実施事業を新設の奥州市にも反映させたいと考えている。
そこで本稿では新設合併を控える江刺市における同条例の理念、または効力が、政策法務的見地から合併後の新設市に反映されるための条文の策定、および直接的・間接的方策について検討していくものとする。
<1>
新設合併と編入合併の条例の効力
A ビジョン型条例とは
えさし地産地消推進条例(仮称・以下地産地消条例)は、地産地消を核とした農業推進、地域づくり、行政への市民参加を盛り込んだ農業分野・市民参画・まちづくりという、政策横断型のビジョン型条例とみることができるが、ではそもそもビジョン型条例とはどのような条例の類型を指すのか。先の統一補選で衆議院議員となった、元宮城県議会議員、秋葉賢也は、地方議会の議員立法の源泉を以下のとおり分類する。
@資産公開条例や議員定数条例など「議会関係のもの」で、一般的に全国画一的な制度設計のための国における法令制定に伴い、その流れとして地方自治体での条例制定を要請されるケース。この分類が地方議会における議員立法の圧倒的多数を占める。 A東京都の「平和の日条例」や石川県の「名誉県民条例」など、「住民の総意を基盤とするもの」。 B三重県の「清潔で美しい三重をつくる条例」や神奈川県の「神奈川県屋外広告物条例」など、提案の契機として「議員の個人的提案が契機になったもの」。C沖縄県の「海浜を自由に使用するための条例」や「所沢市ダイオキシン規制条例」といった「住民からの強い要望に基づくもの」。D熊本県の「スーパー規制条例」など「特定の企業や団体の要望に基づくもの」(1)。
以上のように秋葉氏は地方議会の議員立法を以上の5つに分類するが、元岩手県議会事務局職員の津軽石氏は、議員立法を条例の対象と内容の観点から分類した。つまり、
@議会内部のルールを定めた条例、A首長と議会とのルールを定めた条例、B特定の行政分野について定めた条例、B−1として、政策理念的な内容を中心とした条例、B−2として規制的な内容を含む条例、とする(2)。
ここで津軽石氏が分類したB−1、特定の行政分野について定めたものの中で、特に政策理念的な内容を中心とした条例は、行政分野に関する基本理念を規定し、その基本理念を達成するための行政計画の策定や基本的な施策の方針が規定されるもので、その自治体が重点的に取り組むべき分野についての枠組みや方向性を条例により示す意味があるとするが、この条例の体系こそ、地産地消条例が目指すところである。またここでいう政策理念的な内容を中心とする条例には、ニセコ町のまちづくり基本条例や、いわゆる自治基本条例は含まれないと解する。条例の段階から言えば、@自治基本条例 A政策理念的条例(ビジョン型条例)B特定の施策に関する条例 となり、地産地消条例は自治基本条例と個別の施策に関する条例の間であるAに該当する。
つまり地産地消条例は市民参画によって住民の総意を基盤とし、市が今後重点的に取り組むべき施策の方向性を行政や内外に示すものであり、本稿では「ビジョン型条例」と指すこととする。
このような自治体の施策における基本条例の出現に対し、磯崎初仁は、1990年から現代までをいわゆる「総合型条例の時代」の出現とし(3).以下のように述べる。
『自治立法の中の一番基本になる、一番上にあるものが自治基本条例と言えるのではないかと思うのです。多くの自治体は、まだ自治基本条例を持っていないのですが、その下に基本条例、それから個別の条例ということで、条例は大体3段階あるのではないかと私は思います。3段階の一番下、つまり個別条例はたくさんできている、あるいはできつつあります。その根っこになる自治基本条例、これをやはりしっかりと打ち立てて、自治の方針とルールを定めておく必要があります。その目的を実現するために、さまざまな行政分野、例えば環境基本条例とか、あるいは地域福祉基本条例とか、こういった条例を分野別につくって、さらにそれに沿って個別条例をつくる、といったようなイメージではないか、その一番根っこにあるものが自治基本条例と言えるのではないかと思うのです。』(4)
B 編入合併の場合の条例の効力
ここからは、新設合併の場合と編入合併の場合の既成条例の効力について考えていくこととする。
「編入合併における編入する市町村」においては、市町村の法人格がそのまま存続するため、当該条例、規則等は失効せず、通常は手当の必要はない(1)。よって運用的には編入合併の場合は、「編入合併における編入される市町村」の条例等が失効し、編入する市町村の条例等が適用される。この場合は、編入をする市町村の条例等、例えば学校設置条例において、新たに加わる学校の名称を追加するなど、関係条例の一部改正等が必要となる。
C 新設合併の場合の条例の効力
「新設合併における関係市町村」においては、市町村合併が行われた場合には、市町村の法人格が消滅するため、当該条例、規則等は失効することとなる(2)。よって新たに制定すべき条例等を関係市町村間において協議し、合併後直ちに制定施行ができるよう準備作業をしておく必要があるが、ここで旧自治省の合併マニュアルからは条例制定について以下のような見解を見ることができる。
条例、規則等の整備については、あくまで業務内容に伴うもので、それ自体が独立先行するものではない。したがって、合併関係市町村間の事務調整票を先に作り、新市町村の業務内容を明確にした上で、必要となる制定・改正作業を把握した方が円滑に進むと考えられる。合併時に即時施行を必要とする事務事業については、合併時までに策定することとし、合併後に調整を行うこととなった漸次施行の事務事業に必要な条例、規則等については、合併後速やかに制定することとなる。調整手順としては、事務一元化に伴う各種の事務事業の調整結果を踏まえ、根拠法令に基づき条例、規則を制定する(2)。
新設合併後の首長に認められた専決処分権(地方自治法179条)について、これにより市町村長職務執行者は必要により専決処分により以下の内容の条例を制定施行することもできるとする。つまり、
@法律の規定により必ず設置するもの若しくは制定が必要なもの又はこれらに準ずるも
ので、空白期間の許されないもの
A新市町村の組織及びその運営又は職員等の勤務条件(給与、勤務時間等)等に関する
もの
B市民の権利・利益を保護し、又は権利を制限し若しくは義務を課すため、空白期間の
許されないもの
C公の施設等の設置・管理に関するもの
D合併関係市町村において同様の制度をもつ事務事業に関するもので統合する必要のあ
るもの
地方自治法施行令第3条では、新市としての条例、規則が制定されるまでの間の暫定措置として、従来その地域(旧町の町域)に施行されていた条例、規則等を「首長の政策的判断」で新町の条例、規則等として引き続き施行させるとするが、この暫定施行も合併後に多角的な政策的判断を必要とする自治基本条例では難しい。「ビジョン型条例」も含め、基本条例の取り扱いについて、法的には合併後に新市町村長の政策的判断等を要するため、原則どおり失効させ、場合により合併後の議会で審議されることとなるのが通常であると考えられるが、「えさし地産地消推進条例」も「政策的判断」が必要なものとして、合併後失効されることと判断するのが妥当である。
<2>
合併協議会における条例の扱いに際しての検討事項
合併協議会で確認された事項については、それぞれの調整方針に従って整理する。よって合併協議会による合意が、実はビジョン型条例が生き残れる有効な手段であるのだが、ここで水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村合併協議会において平成17 年1月27 日に提出された、条例・規則の取り扱い合意を確認すると、調整の内容として、「条例・規則等の制定に当たっては、合併協議会で協議、承認された各種事務事業等の調整内容に基づき、次の区分により整備するものとする」とし、
@ 合併と同時に市長職務執行者の専決処分により、即時制定し、施行させる必要があるもの
A合併後、一定の地域に暫定的に施行させる必要があるもの
B合併後、逐次制定し、施行させることとするもの
と、条例・規則の取り扱い事項を他事例と異なる点なく分類している。また条例の整備方針としても、
「新市発足時には、水沢市、江刺市、前沢町、胆沢町及び衣川村の条例・規則等はすべてその効力を失うこととなる。そのため、新市において新たに条例・規則等を制定し、施行させる。なお、条例・規則等の制定にあたっては、合併協議会で協議・確認された各種事務事業等の調整内容に基づき、整備するものとする」とし、その事務事業の調整内容によって整備された例規数が、江刺市だけで条例が215本、規則が234本ある(5)。
この分類から見ると、@の専決処分により施行されるものについては、事務所の位置を定める条例、基金条例 、税条例 、介護保険条例、印鑑登録及び証明に関する条例、手数料条例
等であり、Aの暫定施行については、地域福祉基金条例、 地域福祉振興基金条例 、基金管理条例、入学資金融資条例、老齢福祉年金加算交付金支給条例などが考えられる。
よってまず第一に、平成17年1月27日の合併協議会以降である9月議会において制定する予定の「えさし地産地消推進条例」は首長の専決事項として合併協議会で調整されていないこと、また第二に、「えさし地産地消推進条例」という江刺市限定のビジョン型条例という内容において「首長の政策判断」が必要とされるものであり、よって合併協議会における協定事項の可能性という観点からも、この「えさし地産地消推進条例」の効力が新設市に及ぶことは難しいと考えられる。
<3>
法的に考えられるビジョン型条例の新設市での効力
前述した新設合併の場合の条例の効力、合併協議会における調整後の効力の面から考察するに、新設合併する場合の合併構成市の1つである江刺市の、合併協議会調印後に制定される政策的ビジョン型条例の効力が、条例が存続するかたちで新設市において及ぶことは難しいと考えられる。
<4> 間接的な条例の効果を考える
新設合併において地産地消推進条例そのものが存続するかたちで、新設市に条例の効力が及ぶことが難しいことは前述した通りである。では、条例そのものが失効しても、条例の“効果”が新設市において残る方法はないか。
@
江刺市議会議員に対し当該条例の理念を新設市においても受け継ぐ努力規定をおく
条例に込められた市民の思いを引き続き新設市の議会において、新たな市民を巻き込みつつ審議し、新たな条例案を合併後速やかに作成する旨の江刺市議会議員に対する努力義務規定を、条例の付帯決議として付属させる。
A
「住民の宣言」としての前文をつくり、条例の理念を存続させる
条例の前文において、「江刺地産地消市民宣言」として、住民の総意として永続的な江刺地域の発展と当該条例において込められる地産地消、郷土愛の理念を謳い、合併予定地域全体にこの理念を広めていく旨の文言をおく。
B 他議会との協働
合併前の各自治体の議会に対し、江刺市議会との意見交換会を催し、条例の趣旨に賛同する議会について、議会において地産地消条例に賛同する趣旨と、奥州市における継続的な取り組みを指示する決議案を提出してもらう。
B
条例制定プロセスで市民の自治意識を高める
議員提案条例作成プロセスにおいてより市民との協働を図り、プロセスの中での学習効果を期待する。市民の自治意識、地産地消の大切さなど“気づき”の場を条例制定という過程の中で提供し、新設しに移項しても、市民レベルで活動を行っていく意識の下地をつくる。
そもそも条例の理念を残すことを考える上で、条例の文言に将来的な条例効力を期待するよりも、条例の制定過程で住民1人1人が抱いた意識、またプロセスによる「気づき」を大切に考え、いかに多くの住民に、条例制定過程で浮き彫りにされる理念を共有してもらうかが重要視されるべきである。1つの条例にこめるビジョンの共有こそ、「ビジョン型条例」を議員提案で行う最大の目的である。
条例作成過程における住民参加のプロセスが重要視さされつつ、同時に条例案をいかに効果的に新設市への合併を控えた江刺の発信力とするか。検討を続けたい。
(1)
秋葉賢也『地方議会における議員立法』(平成13年 文芸社) 9頁
(2)
津軽石昭彦『議員提案条例をつくろう』(平成16年 第一法規) 7頁
(3)
磯崎初仁「分権条例の動向と論理」『分権条例をつくろう!』(平成15年 ぎょうせい) 5頁
(4)
平成16年2月8日横須賀市政策研究セミナー 礒崎 初仁 基調講演「自治をすすめるための条例とは −自治基本条例の動向と可能性−」より抜粋
(5)
旧自治省「合併マニュアル 第2部実務編」第11章 条例、規則等の取扱いより
(6)
旧自治省「合併マニュアル 第2部実務編」第11章第1節「新設合併」より
(7)
水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村合併協議会事務局ホームページより抜粋
http://www.city.mizusawa.iwate.jp/gappei/index.htm