自治制度演習

第1セメスター第1クール:片木先生

45041019−1:小暮大祐

演習テーマ:戦後の地域振興策の概要と今後の地域振興の課題

1、はじめに

これまでの地域振興は高度経済成長の時代の中、経済効率重視の国土開発を政府主導で推し進めてきた。しかしながら、経済成長にも限界がみえ、政府の公的支出の削減が求められる今日、これまでの経済効率重視に偏った、公共事業依存型の地域振興にも限界がみえている。国・地方の財政逼迫を招いた要因として、地域振興という大きな枠組みの中で、地域に住む住民一人一人の意思とかけ離れ、中央省庁の既得権益や地元有力議員の力による大型プロジェクト事業の推進などといった、利益誘導によるバラマキ型の開発に陥ってしまったことに起因があろう。この国側に都合のよい経済効率重視の開発によって、ナショナルミニマムはほぼ達成され、高度経済成長をもたらした。しかしながら、当初の目的である地域格差の是正の達成には至らずにいる。それでも地域開発は地元有力議員の集票機能として続けられ、住民の要望というよりはむしろ、財界からの要望による地域開発の側面を残してしまった。

現在の財政逼迫のもとでは、バラマキによる振興はできず、低コストで最大限の効果をあげることが国・地方問わず求められよう。それにはバラマキ型の、上からの地域振興から脱却し、それぞれの地域・住民のニーズを的確に捉えるためにも、生活者である地域住民の生活や環境の向上を目指した地域開発へとシフトしていかなければならない。

これまでの住民不在の地域振興から、どうやって住民の意思が反映された地域振興に転換させていくか。それにはただ地域振興のあり方を反省するだけではなく、地方と国の関係の見直しにまで考えていくことが求められていると考える。

 

2、全国開発計画の推移

本レポートでは戦後以来、国土開発の軸をなしてきた五次にわたる国土計画(全国総合開発計画)を検証するとともに、この国主導による地域振興がもたらした問題点を示し、その原因を考えてゆく。そして、これからの低成長・高齢化社会の中での地域振興のあり方について考察していくものとする。

まずは、これまでの旧全総から四全総、そして現在にいたる五全総までの経過・背景について考えみたい。以下の表は旧全総から四全総までの流れを示している。

 

全国総合開発計画(旧全総

新全国総合開発計画(新全総)

第三次全国総合開発計画

第四次全国総合開発計画

閣議決定

昭和37年

昭和44年

昭和52年

昭和62年

内閣

池田内閣

佐藤内閣

福田内閣

中曽根内閣

背景

1、高度経済成長への移行

2、過大都市問題、所得格差の拡大

1、高度経済成長

2、人口・産業の都市集中

 

1、安定成長経済

2、人口・産業の地方分散の兆し

1、人口・諸機能の一極集中

2、地方圏での雇用問題の深刻化

基本目標

地域間の均衡ある発展

豊かな環境の創造

居住の総合環境の整備

多極分散型国土の構築

課題

1、都市の過大化と地域格差の是正

2、資本・労働・技術等の適切な地域配分

3、自然資源の有効活用

1、長期にわたる人間と自然との調和

2、地域特性を活かした開発整備による国土利用の再編効率化

1、居住環境の総合的整備

2、国土の保全と利用

3、経済社会の新しい変化への対応

 

1、定住と交流による地域活性

2、国際化と世界都市機能の再編化

3、安全で質の高い国土環境の整備

開発方式

「拠点開発構想」

「大規模プロジェクト構想」

「定住構想」

「交流ネットワーク構想」

投資規模

 

昭和41年〜60年で約170兆円

昭和51年〜65年で約370兆円

61年〜平成12年で1000兆円

旧全総から五全総に至る間の計画の基本課題をなすのは、一貫して「国土の均衡ある発展」、「地域格差の是正」であった。

旧全総(1962年)の策定されたのは、まさに高度経済成長の真っ只中で人口・産業の大都市集中が進み、都市における生活環境の悪化や農山漁村における人口流出・活力低下が深刻になった時期であった。そこで過疎・過密を解消する手段として過疎化に対する地方に工業再配置促進法など、工場を積極的に誘導する整備を設け、また、工業の集積する重要拠点を建設し、その波及効果で地方圏の工業化を進めるという拠点整備方式を打ち出した。その具体策は太平洋ベルト地帯以外の地区に「新産業都市」を建設することであった。これは初めての計画的な工場分散政策であり、本来戦前から四大工業地帯と呼ばれる地域以外に、新しく大規模な工業集積地を建設しようとする大きな試みであった。この新産業都市の指定を受けようとする地方は史上空前といわれる誘致合戦を繰り広げ、合計21もの地域が指定されたために、各地域の計画は当初考えられた規模の4分の1ないしは5分の1程度の小さなものになってしまった。そのため結局、どの地域においても自立的な産業地域に発展するほどの規模の集積はみられず、既存集積地以外に大規模な工業集積を新たに形成するという当初のもくろみは実現できなかった。

これに続く新全総(1969年)では地方圏での大規模プロジェクトが構想され、新幹線、自動車道、通信網の整備などのいわゆる全国ネットワーク化がなされた。この構想はほぼ当時に構想された形で次々に整備されていったが、それ以外の工場・大学・研究機関などの地方分散はおおむね不発に終わった。それは、1960年代後半から頻発した公害のために大規模開発の効用に疑問をもつようになった住民の反対運動が高まったこと、さらには「列島改造論」(1972年)があおった土地価格沸騰や「オイルショック」(1973年)によって実現の条件を失ってしまったからである。

三全総(1977年)では地方への定住が進まないのは雇用のせいではなく、地域に文化がなく生活環境が都市的ではないからだという考えにたって、文化・生活関連施設の広域的整備を進めるために、「定住圏構想」を打ち出した。このため、地方で文化関連施設の整備が進んだが、ほとんどの文化施設はそれ自体として大きな雇用や所得の増加をもたらすものではなく、その意味で過疎化に歯止めをかけること直接的効果を期待することはできなかった。その後、工場誘致の要望が高まり、1983年にテクノポリス建設構想や情報化に向けた構想(テレトピア構想・グリーントピア構想など)が生まれた。しかし、ハイテク産業が雇用吸収力には限界があること、そもそもハイテク産業が大都市に集中することが明らかになっていった。

これまでの構想にはほとんどが工業の振興を目的としており、いうなればそれらは本来の意味での地域振興策ではなく、単なる工業振興策にすぎなかった。1987年の四全総では多極分散型国土の形成という理念にしたがって各地域の特性に応じた、第三次産業も視野に入れた計画がなされた。この構想はとくに地方都市部を振興し、それぞれの地方圏と東京圏との連携強化により、それぞれを活性化されるというものであったが、政府が東京からのオフィスの追い出しを過度に進めて東京の国際機能を阻害することのないようにと注文をつけていることからも、この計画も依然として、経済効率の配慮から日本経済の成長をもたらした従来の国土構造の維持発展を図るという大前提に立っていたといえよう。

また、四全総の具体化の一環として地方の活性化の期待を担った「リゾート法」が制定され、各地方では計画を進めたが、ときあたかもバブルの崩壊によって企業の新規投資が全面的に停止したため、各地の計画の多くが頓挫した。

 

3、第五次総合開発計画の概要

閣議決定:平成10年(橋本内閣)

年次目標:平成22年から27年

背景  :地球時代、人口減少・高齢化時代、高度情報化時代

構想  :21世紀の国土のグランドデザイン

課題  :自立の促進と誇りの持てる地域の創造、国土の安全と暮らしの安全の確保、

     恵み豊かな自然の享受と継承、活力ある経済社会の構築

開発方式:「参加と連携」

     多様な主体の参加と地域連携による国土づくり(4つの戦略)

   @多自然居住地域の創造 A大都市のリノベーション

   B地域連携軸の展開   C広域国際交流圏の形成

投資規模:投資総額を示さず、投資の重点化、効率化の方向を示す

 

4、第五次全国開発計画の背景と内容

 四全総からすでに11年もの年月が経過した1998年橋本内閣によって閣議決定された。当時のバブル経済はもはや終焉を迎え、日本社会の多くの産業分野が長期にわたる構造不況に陥っており、各方面から公共投資の抑制が叫ばれていた。このような厳しい時代環境を配慮した上で五全総が打ち出されたが、そこからはこれまでの全総とは異なった点もいくつかうかがえる。過去の全総では経済成長に多少ブレーキをかける方向であっても格差是正がもとめられ、大都市過密問題の早期解決が叫ばれていた。裏を返せば、まだ当時は経済成長を期待するだけの余裕があったともいえよう。しかし、不況から抜け出せない中、五全総では不況からの脱出と格差の是正という二つの問題を同時に天秤にかけなくてはならないという問題に直面した。それゆえに中途半端な面も露呈している。かつての全総にみられた開発優先と今求められてきている自然環境重視という二つの路線を整理しきれていない部分がある。一方では環境への配慮も示されていながら、これまでのような大型開発志向も6つほど列挙されている。しかしながら、五全総が計画期間中の投資総額を明示していないことからこれらの事業が成立するのかといった、将来の見通しは不透明のままにされた。

 また、「参加と連携」方式を掲げ、国よりも地域が主体となって、住民や企業などの多様な主体による地域振興が叫ばれたことは、それと同時に地域振興策における政府の主導性の弱まりもみてとれる。そして、五全総では全総の根拠法である国土総合開発法・国土利用計画法を抜本的に見直し、新たな国土計画体系づくりを目指すことも明記された。

 

5、戦後の地域振興策の評価

では、全国総合開発計画はどのように評価されるべきであろうか。国家プロジェクトとしてのインストラクチャーの構築は右肩上がりの経済成長のもと、脚光をあびて進展し、結果として効率的な産業活動の条件を作り上げた。そしてこれらの構想を軸に、公共施設・教育・福祉といった行政面でのナショナルミニマムはほぼ達成されたものと考える。この面では全総は大きな成功をおさめたといってもいいだろう。

しかしながら、もっとも地域振興策の大きな目標、すなわち地域の行政の支援なしに大都市に伍していくだけの活力や魅力が備わったのか、農山村が農林業で自立できるようになったのか、若年層を中心とした人口流出はとまったのか、などといった問題に関しては多くの地方で未達成のままにされてきている。さらに、このような国主導なし従来型の政策を続けてもそうして問題を解決し、目標を達成できるのか不透明のままである。

戦後以来、国の地域振興策の基本課題は、「国土の均衡ある発展」、「地域格差の是正」であったが、全総計画はそのひとつのシンボルでしかない。実際多くの財政資金が地方の公共事業に充てられ、一人あたりの公共投資実績をみても大都市圏より地方圏、都市部より農村部、過密地域より過疎地域のほうが非常に高い水準で続いてきた。もちろん、従来から財源の配分について都市と農村のどちらに重点的に置くべきかの議論もあり、都市部についても多くの公共事業が行われてきたことも事実である。しかしながら、問題はそれぞれの計画で目標値を大きく下回っていたにもかかわらず、なぜ「国土の均衡ある発展」、「地域格差の是正」が見直されずに続けてこられたか考える必要があろう。

 第一は、戦後の民主的平等思考のもと経済成長を背景に多くの行政分野において、全国的にある程度統一されたナショナルミニマムの達成が目標となってきたことが挙げられる。すなわち、一般的に条件に劣る過疎地域や農村部に相対的により多くの財源が投入される結果につながった。

 第二に、経済成長に伴う税収の増加があったことである。特に高度経済成長期やバブル期における税収は人口や諸機能の大都市集中を軸として生じており、税収増による財源は経済成長の果実を得にくい地方や農村に向けられやすかった。

 第三に、都市と農村における土地を取り巻いた状況の違いである。公共事業を実施する場合のネックとなりやすい用地取得は、都市化が進むほど困難となり、事業の進展を図りたい事業官庁は用地取得の容易な農村を優先しがちであった。特に景気低迷時に打ち出される公共事業追加策については、景気への即効性や建設業界等への波及効果を高める観点から、用地取得が必要ないか、終了している事業に向かう傾向が強かった。

 第四に、自民党の長期政権が続いてきたことが挙げられる。農村部は従来から自民党の支持基盤であり、自民党の有力政治家も大都市よりもむしろ、地方に支持基盤を置くものも多く、支持票維持獲得のために地元の利益誘導の政策を実施してきた。

 第五に、住民の意識である。大都市住民のほとんどが地方出身者であり、大都市が相対的に不利に扱われることがあっても、それほど大きな反発が生じにくかったことも挙げられよう。

 また、地域格差はどうなったのか検証する必要もあるだろう。全総、新全総において過疎と過密の問題に対して、拠点開発やインフラの整備といった地方に大規模な公共事業を推進した。しかしながら、東京一極集中の是正には歯止めはかからず、「新産業都市構想」もほとんどの地域で失敗した。

 三大都市圏への人口流入は1960年頃から緩和の方向をたどるが、60年代通じてなお大量に続き、1975年頃にいたってやっと流入と流出がほぼ同数となって、人口の社会増減がほぼなくなった。所得格差も1961年にピークを打ったあと、縮小に向かい、オイルショック時にはいったん拡大したものの、1970年代には急速に縮小した。最も豊かな東京都の県民所得は1980年にもっとも所得の低い沖縄県の1.95倍となり、最高と最低の所得格差は2倍を割り込むこととなった。この1970年代からみられる地域格差の縮小を、全総・新全総の地域振興策が時代の経つにつれ、だんだんと効果を出してきたと見ることもできよう。たしかに、1960年代、70年代には工場立地の誘導策が相次いで、制約の大きくなった大都市部から地方圏へと工場の分散は進んだ。この点では全国総合開発計画の産業誘導が一定の意義をもったことは事実だろう。

 ただ、全総以外にも地域格差の是正に大きな役割を果たしてきたものがあった。それは国家財政の拡大である。この豊かな財政を基礎として、産業振興以外にも、農村部への農業優遇策、農業振興投資が行なわれ、また全国に平等レベルで社会福祉政策も実施され、年金や福祉施策の形で地方に対する財政支出が相対的な増大した。さらには、地方交付税による地方財政のてこ入れも行われ、地方への所得移転が拡大した。こうして経済成長の成果が国の財政政策を通して全国に分配されたことが、地域格差縮小のもうひとつの要因であると考えられる。

 

6、地域振興策の課題

これまでの地域振興策は基本的にあくまで右肩上がりの経済成長を根底に置いたものであった。では、これから予期されうる経済の低成長、少子高齢化、地方分権における社会状況のもとでの地域振興のあり方について考えてみたい。

1990年代以降、バブル経済の崩壊による不良債権の発生をはじめ多くの経済的要因があるが、痛みを伴うような構造改革や既得権の排除を実施せずに数十兆円にも及ぶ追加的経済政策を行い続けた結果、景気は浮上しないまま、他方財政状況の深刻化を招いてしまった。こうした問題点には国の地域振興策における課題も含まれる。「国土の均衡ある発展」、「地域格差の是正」を名目に、地方や農村に手厚い投資を繰り返してきたにもかかわらず、そうした多くの地域は活性化せずに停滞色を強めている。では「均衡」・「格差是正」を乗り越えた、新たな地域振興策を構築するのにはどうしたらよいだろうか。

厚生省の統計によれば日本の人口は2006年の1億2274万をピークに減少過程に入る。今後は都市部、農村部隔てなくある程度の人口減少を所与の条件として、そのマイナス面をプラス面に伸長させる政策が重要となろう。農村部・過疎部では人口減少をこれまでの細分化された土地や資源を集約し、その管理を高度化する好機をして捉える必要がある。都市部においても住宅問題や交通問題を解決する好機として捉えることもできよう。

また、都市部、農村部ともに従来からある社会資本に余剰が生じることもあるので、人口動態を十分に勘案した、政策評価の役割も重要である。

 少子高齢化問題にしても、国・地方の財政状況からも公費による行政サービスには限界があることから、地域のコミュニティ、NPO、ボランティア、さらには民間企業の協力のもと、行政と地域社会が協働した取り組みが求められる。また、環境問題も大きなテーマであり、農山村の有する自然環境に一層の配慮をし、従来の公共事業による雇用や所得の維持とは異なる、農山村の維持政策を視野に入れた循環型社会の構築に向けた取り組みが期待される。

 

 

7、まとめ

 以上のことから新たな地域振興策の構築に向け、まず見直さなければならないことは公共事業に依存した、または既得権にとらわれた、これまでの地域振興策であろう。これまでは地域の生活者の要望による生活環境の向上という側面より、むしろ国からの経済効率追求のもと、地域住民の声と隔離した、上からの開発に陥ってしまった。第五次全国総合開発計画の中では、「地域住民の積極的な参加の下、地域が自らの選択と責任で地域づくりを行うためには、その基礎として、地域づくりに必要な事業を行うに足るだけの権限や財源を地方公共団体が有していることが不可欠である。このため、地方分権を積極的に進める必要がある。」とはっきりと明示されている。私もこの方向性には賛成だが、それにはこれまでの各省庁や地方ごとの利害にとらわれた振興策から抜け出すこと、すなわち戦後以来の「均衡した発展」という名目のもとでの、金太郎飴的な全国総合開発計画を根本から見直すことが必要である。そして、地方分権の中で各自治体は地域における総合的な行政主体として、自己責任・自己決定のもと、いたずらに国の庇護を求めることなく、住民の参画を通した地域特性に応じた行政の展開が求められるのではなかろうか。つまり、地域振興も「国におんぶにだっこ」から地方主導・民主導への地域振興へと転換させていくべきである。今後の課題は地域が国に依存しない、地域発のアイディアと努力のもとで、自立した振興ができるかどうかである。そして各地域の自主性に配慮し、独自の地域振興を推進させていくためには、同時に地方の権限・財源ともに強化する必要がある。地域振興策の見直しは、国・地方の権限・財源をめぐる関係の抜本的な改革なしには不可能であり、地域主体・住民主体の振興策の構築には地方の国への依存を断ち切ることから考える必要があろう。

 

参考文献

「地域政策の道標」 戸田常一著 ぎょうせい 2002

「地域づくりと地域振興」 北里敏明編集 ぎょうせい 2003

「地域主権の経済学」 波多野進著 実務教育出版 1996

「地方自治の論点106」 坂田期雄編集 時事通信社 2003

「地方都市・21世紀への構想」 酒田哲 NHKブックス

「地方の経済学」 安東誠一 日本経済新聞社 1986年

「国土レポート96」 国土庁編大蔵省印刷局 1996年

「戦後国土計画への証言 下河辺淳 日本経済評論社 1994年

 

国土交通省HP 国土計画局

国土交通省HP 国土のモニタリング

経済産業省HP 地域経済産業サイト