演習課題(2004ファーストセメスター・ファーストクール)

    平成16年5月16日

 

現行地方自治制度における首長と議会の二元代表制の概要  

公共経営研究科 金子ゆかり

 

<はじめに>

 地方分権一括法が施行されて4年が経過する。機関委任事務が廃止され、国から地方へ権限が徐々に移譲され、また財源の移譲についても論議されるなど行政の地方分権は進みつつある一方、地方議会の改革は行政の地方分権ほどには進んでいないと思われる。日本の地方自治において、今後基礎的自治体や、広域自治体の政治制度をどうするかは議論の余地が残るところであるが、従来どおり知事も議会も直接選挙で選出される二元代表制を取って行くとすれば、地方主権(※)の時代には、両者がバランスよく権力の均衡を図りながら行政を進めることが理想的であろう。地方分権が声高に唱えられているが、それは国対地方に焦点があり、地方においての政治機構の改革にまでは論点は移っていない。また、地方において徐々に改革の動きはあるものの、行政のリーダーシップは未だ首長にあり、議会は相変わらず行政の承認機関的存在に甘んじているという実感をぬぐえない。

 そこで、日本の地方自治における現行の首長と議会の二元代表制度の生い立ちを概観することにより、また、二元代表制度自体の問題点を指摘し、新たな地方分権時代における地方議会のあり方、役割の再検討という修士論文テーマの考察への一助としたい。地方議会といっても、主に都道府県議会に意識を置いて論を進めたい。

 

1.二元代表制の誕生と課題

 

 二元代表制は、沿革としてはイギリスの君主制、一元代表制において議員が首長を選出する仕組みの中で腐敗が生じ、アメリカにおいて「行政と政治の分断」が議論される中で生まれた制度といわれる。(10) 双方直接選挙によって選ばれた行政執行官である首長と団体意志決定機関である議会がお互いチェックアンドバランスを機能させることを期待している。即ちこの「大統領制は、元来立法府の専制を抑制すると同時に行政府の効率的な運営を行なうために考えられたものである。その特色は大統領が国家の元首と行政の長を兼ねている点にあり、また、大統領の選出を立法府(連邦議会)ではなく、国民に委ねることにより、行政府を立法府から完全に独立させていることである」(10)。更に「アメリカの政治制度は、大統領(行政府)、連邦議会(立法府)および最高裁判所(司法府)の政府の三部門が対等な権限を有し、これらが相互に抑制均衡する厳格な三権分立制の国であると言われてきた。

しかし、現実には、大統領行政府の権限が拡大し、連邦議会の権限は弱体化する傾向にあった。(9) そこで、アメリカにおいては再度、議会側の権限を強化することで、そのバランスを図ろうと議会改革に取り組んだ経緯がある。「まず第一に、大統領に対抗するための連邦議会の権限、機構、スタッフ及び情報源の強化であった。第二に、連邦議会の民主化、特に委員会制度の改革が進められ、そして第三に、連邦議会に対する国民、マスコミによる監視強化がはかられてきた。」(10)というようにである。

19世紀独立以降、概ねアメリカ・フランス型に近い大統領制を採ったラテンアメリカ諸国の場合を見てみよう。上下二院で政党政治に基づく立憲政治・三権分立を理念に掲げる制度下において、行政府と立法府の力が共に強く、大統領に議会の解散権がなく、他方議会による大統領弾劾も難しい。そんな中、カリスマ的・ポピュリスト的指導者が登場して、議会の多数の支持を得られないような政治的危機において、回避策(議院内閣制に設けられているような行政府の総辞職、議会の解散、総選挙といった出直し対応策)はなく、結果として政策決定を妨害する議会に批判が集まり、(略)クーデター・政変が頻発することとなった。(12)この様に、二元代表制が十分な補完制度や熟度の高い民主主義の浸透や政治文化のないところでは、大統領の強権、独裁に移行しやすく、議会もあってなきがごとく、憲法も絶え間なく空文化して改正、修正が繰り返されてやがてデモクラシーの基礎を掘り崩すというシナリオで事態が進行する可能性が高」かった(11)ということができるであろう。

 また、フランスの大統領制においても、首相共存で、一段と工夫がされているとはいえ、議会との支持基盤の状況によっては世界一強権の大統領にもなり得るという課題も指摘されている(12)のである。先述のように、「アメリカの場合は200年以上の時間をかけて、立法府と行政府の協働関係を築き、両者の対立を回避してきた」のだが、それぞれの国や地域の事情によるにせよ、二元代表制においてはとかく、議会より、大統領の権限が過大になりやすいという傾向があったといえる。  

 以上のように、二元代表制の根本の理念(行政府と立法府が均衡して相互に監視できる仕組み)が、議会と首長を直接選挙で選ぶことで実現できるかというと、どうもそうではなさそうである。各国家においては、その仕組みに様々な改良を加えて今日に至っているのである。

 

2.日本の地方自治の生い立ちと二元代表制の成り立ち

 

(明治)

 日本の近代である明治国家は、民主主義国家の黎明期でもある。大日本帝国憲法を発布し、欧米追随を目指し、殖産興業、富国強兵を推進する中央集権国家であった。そんな中、1888年地方自治がスタートするが、市町村においては議会(議員は国税2円以上納税者の制限選挙)が首長を選任したのに対し、府県郡制(1890年から)では知事は官選であった。即ち、当時の知事は国の官僚、国の機関であったことになる。一方、府県郡においての議員の選出は市町村議会議員から選任される複選制であった。日本における地方議会の成立は帝国議会より古く、「その機能の淵源は(略)地租に対する抗議活動に端を発する、自由民権運動における地方民会である。(略)日本においても『代表なければ課税なし』を標榜した異議申し立ての運動が地方議会の原初形態であったということはもっと注目されてよいであろう。」(1)という始まりにもかかわらず、地方議会、特に「府県会の権能は『官選』知事のもとで著しく制約されて」おり、「首長の決定に正当性を与えるためだけの手続き機関として、さらには、首長の翼賛体制としてのみ存在するようになり、異議申し立ての機能はもちろん、首長(執行機関)の監視という機能をほとんど付与されなかった。」(2)

 当時の日本に地方分権の思想がなかったわけではない。在野にあった福沢諭吉は明治10年に「分権論」の中で、「国権には二様あり、法の制定、軍事、外交、国税徴収、貨幣鋳造などの全国一般に及ぶ権力」と、「警察、道路橋梁堤防の営繕、学校社寺遊園の創設、衛生、区入費徴収など、国内各地の便宜に従ひ事物の順序を保護して其地方に住居する人民の幸福を諮ることなり」(3)という分権の思想を提示していたのだが、当時の内務大臣であり、地方自治の市制・町村制制定の立役者、山形有朋の回顧によれば、「中央政府の仕事が多くなったので、地方にもその一部をおこなわせるということと、市町村で選挙や議会運営を練習させておくと国の選挙や国会運営のよい練習となる」(4)といった便宜的な発想から地方自治の制度は作られたのが現実であった様である。

更に、この時代の議員は「自治政参加は公民の義務」とされたことから無給の「名誉職で、このことが地方議員はアマチュアで可とする風土を生み、政治や政策のプロとしての専門職と認知されることを妨げる原因になっている」(5)という見方もあり、知事と議会が存在する二元代表の形はあるものの、両者が相互に均衡を持ち監視するという機能は果たすには、双方ともその選出方法からしても、付与されたり、期待された機能も、現代の民主主義のそれとはかなりかけ離れた状況にあったといえる。

 その直後の、1900年政党政治の国政がスタートするが、戦費調達の為に地方税収の制限をしたり、地方の社会問題に対する仕事の増加に対して補助金行政を推進した為、利益誘導型政治となり、地方議員の政党系列化が進む。結果として一層、中央集権化を進めることになったと同時に、露骨な利益誘導による腐敗が府県会や市町村会にも持ち込まれ、現在にも通じている(5)といわれている。

 

(戦後)

 1945年第二次世界大戦敗戦により、大日本帝国の流れを断ち、GHQ(占領軍総司令部)の下で自由民主主義国家への大改造が行われた。日本国憲法で地方自治制度が保障され、首長も議会も直接選挙で選任されることとなり、二元代表制の形が整う。とは言え、同時に施行された地方自治法においては、執行機関に関する規定整備が中心となり、議会の機能は殆ど戦前の規定を引き継いだままであった(6)が、その後GHQ占領下における2回の改正(7)により、占領下ではじめて、議会は決定に正当性を与えるための手続き機関としての機能と、二元代表制の一方の機関としての首長の監視機能を与えられたということができる。(8)

ところが、「日本が主権を回復した1951年以降、GHQ指導下の戦後改革の見直しが行われ、地域開発のための機関委任事務の増加や地域指定の乱発など、経済成長を達成する為に自治体が国の指示にしたがって仕事を進める仕組みが整えられていく。こうした地方自治法の改正に際して、議会の機能については自治体の組織・運営を簡素化するため機能を制限する方向にあった。即ち、自治省の示した解釈によれば、都道府県行政の七割、市町村行政の4割程度を占めるとされる機関委任事務は議会審議の対象にならないとされた。これらの機関委任事務は、国の仕事を地方機関が国の出先機関として実施するもので、首長に権限もなければ、地方議会の審議の対象からは除かれていた上、52年の自治法改正では、議会の定数削減、定例会開催の回数削減、常任委員会の数の制限と、議会の権限は後退する。更には、成長期にあって税収拡大により肥大化していく行政が、一部事務組合、地方公社、第3セクターなど様々展開して行く中にあって、議会の関与は制限され、首長に対する監視機能は益々低下していった。(8)

 以上のように、徐々に二元代表制の形が整えられてきたとは言え、日本における地方の二元代表制は、一歩前進、二歩後退、というように中央集権の発想から抜け切れない国と、地方分権、あるいは二元代表制の本来の機能を目指したいGHQとの間で揺れながら、一方で国の政党政治の影響、歴史的な背景、そして経済成長という経済的背景など日本独自の環境の中で、独特な二元代表制が形づくられてきたと言えるだろう。

 

3.日本の地方における二元代表制の首長優位性

 

地方における首長の優位性は1990年に発刊された本(16)に、以下のように記述されていたことからも概観できる。

「たしかに地方議会は、地方公共団体において、重要な事項についてその意思を決定する作用を担っている。しかし、無限定に議会を地方公共団体の意思決定機関とするのは正しいとは思われない。地方公共団体の意思を決定し、外部に表示するのは、原則としては、むしろ執行機関の機能であり、議会が意思決定を行なうのは、条例の制定や重要な契約の締結、財産の取得または処分等の一部の限られた事項についてに過ぎない。むしろ、議会は地方公共団体における重要事項について意思決定に参与する機関であり、それとともに、執行機関を監督し、その活動を監視する機関であるということができる。即ち議会は、執行機関と対立する地位に立つ意思決定機関というよりは、地方公共団体の長とならんで、執行の一翼を担う機関である。」というのである。

首長優位の実態は、それが常態化、一般論化していたと考えられる。

 実態として、知事にはアメリカの大統領と違って、政策実現の為の積極的な権限が与えられている。例えば、「アメリカの大統領制では、法律の制定はあくまで立法機関としての連邦議会の権限であって、大統領及び行政府は、少なくとも公式には、法案提出権も予算案提出権も持たない。これに対して、地方自治法は、知事は条例案その他の議案を議会に提出することができると明記している」。(14)反対に「議員にも議案の提出権はあるが、議案の提出や修正動議の発議には議員定数の十二分の一以上の賛成を必要とするため、(略)提出にこぎつけるのは、むずかしい。実際、どこの議会をみても長の提出議案の方が圧倒的多数を占め、審議の主流になっている。また予算は長が調整して議会に提案するものとされ、議会が予算の一体性を乱すような修正を加えることは、長の予算提出権の侵害にあたるという理由で許されない。つまり、権限配分の点では、現行法の制度は三権分立の大統領制とはまったく異なるものであ」(14)るというのである。

更に加えて、「首長には、議会が議決すべき案件をしない場合の専決処分の権限や、議会が義務的諸経費を削減した場合に必要な経費を予算に計上しうる権限まで与えられて」(15おり、法文においても、「首長の権限についての規定が概括例示主義であるのに対して、議会の議決事項については制限列挙主義がとられていることも、首長の優位を補強してい」た(15といえる。「首長は旧制度以来の議会に対する優位をそっくり保持したまま、戦後改革によって新たに公選の長という政治的優位をあわせもつようになったというべきかもしれない。」(15といわれるように、日本国憲法下における地方自治法上においても、すでに首長優位の構造が存在したということもできる。

 

4.        日本の地方自治における首長優位性が継続してきた理由

 

それでは、このように強い首長であってもラテンアメリカのようにクーデターや独裁に陥らず、これほど首長に権限が偏っていたにもかかわらず、この制度が継続されてきたという理由はどこにあるのだろうか。それは、強い首長の権限を抑制する仕組みが取り入れられていたからと考える。

ひとつには、国の統制である。前述のように、かつて中央集権の癖が抜けない日本の政治文化において、国の機関委任事務や補助金政策は、地方の4割から7割を占め、首長といえども国にお伺いを立てなければならなかったという意味において、首長の力を抑止していたと考えられる。しかしながら、それと同時に、国が認めた事業については一方的に首長に執行権があるため、議会の首長追随、総与党化、チェック機能の低下、審議の形骸化、国の政党への依存をもたらし、結果としては地方における議会の存在価値を首長に比較して小さくしていったとも言えることから、議会とのバランスから言えば力の均衡を調整していたとは言い難い。しかし、地域住民から見れば、首長の独走を歯止めする権限の抑止力としての効果を感じていたに違いない。

 二つめの理由は、多元主義であろう。これは、「執行機関の中に、長からある程度独立した地位と権限を有する機関(行政委員会または委員)を置き、政治的中立性や公正の確保を要する事務を分掌させる制度」(14)である。「公選首長、議会、及び行政委員会の間で相互の抑制・均衡を機能させることを目的として、採用された」(14)という。「首長サイドからは行政の統一性を損なうものとして非難される一方で、住民の側からは執行部に対するチェック機能を果たしていないという逆方向の批判を受け」17たりするものの、首長の権限の抑止という意味では機能していると思われる。しかしながら、委員の選任に議会の同意を要するとは言うものの、この行政委員会の存在は、同時に本来政策立案や行政チェックの役割を果たすという議会の権限をも代行していると考えられるのではないだろうか。その意味で、二元代表双方の決定的対立の回避という意味では、功を奏していると評価できるとしても、最終的に予算権限が首長にある為に、結局は首長の権限のほうが、委員会よりも強力にならざるを得ず、首長と議会の力の均衡を調整しているかという視点からは、そうとは言い難い部分もある。

 三つ目は、直接民主主義の手法が間接民主制度(議会制民主主義)と並立していることが考えられる。これは、戦後の改革において、「徹底した民主化のため地方自治を充実させようとするGHQの意図を受けて、(略)条例の制定改廃請求、事務の監査請求、議会の解散請求、議員・長等の解職請求という、アメリカ流の直接請求の仕組みが取り入れ」(6)たものだが、このことにより執行権の独走の抑止は議会のみならず、市民からも受けることになったといえる。

最後に、挙げられるのは、議会による不信任決議案と首長による議会解散権が導入されていることがあげられる。議員内閣制に設けられるべき機能が二元代表制に設けられているのはおかしいのではないか、という疑問が付きまとう条項であるが、「現実に日本の地方自治体でも、首長と議会との対立抗争が激化し、住民の政治不信を助長した例」もあり、先にみたラテンアメリカのような二元代表相互の対立「抗争の泥沼化を防ぐ安全弁として評価することも可能である」(15)とも考えられるからである。

 

5.        まとめ ― 地方主権時代における地方議会の役割の再検討へ

 

 以上のように、二元代表制の概要をたどってみると、国家の制度と国家に包括される地方の制度という違いはあるにせよ、二元代表の双方のバランスを議会改革により議会の権限を強化する方向で改革に取り組んだアメリカと、執行部、首長の権限の抑制により図ってきた日本の地方制度の対比が見えてくる。

 しかし、2000年に地方分権一括法により機関委任事務が廃止され、国と地方は対等の関係となり、目下補助金や交付金の改革、更には税財源の移譲について具体的議論が進む中、日本の地方自治制度は、本来の二元代表制に近づくであろうとおもわれる。その時に、地方議会はこのままの延長線上に進んでよいものであろうか。

 住民投票制度など、更に直接民主制度の取り込みが進む傾向はあるものの、その原因は議会への不信や失望から来ているとも考えられる。議会は、従来のあり方を抜本的に見直し、本来の議会の機能を見つめなおし、信頼回復の機会と捕らえなければならないと考える。

議会の本質は、代表の原理、審議の原理、行政監督の原理という三つの基本原理によって成り立っている。今後期待される地方主権の時代においては、直接公選され自治体の代表機関としての存在根拠をもつ議会は、首長と対峙する責任として、また代表者間の合意を形成する場の責任として、従来のあり方を改革し、その本来の機能を十分に発揮できるようにすべきである。(例えば、前述の議案の提出権については、かつて戦後改革当時の規定のように、議員一人からでも認めるべきであり、予算の修正も議会側の制限を外すべきである。首長の専決処分権については、便宜上有効な部分も認められるが、議会のチェックを受ける事が望ましいと考える。)

改革の課題は多いが、議会が執行部依存型から脱皮するためには、条例など立法への取り組みに始まり、審議方法の改革や事務局の充実など人事や予算を伴う改革も必要になる。詳細についてはなお更なる検討を要する為ここでは控えるが、新しい時代には、新しい仕組みが必要である。その為には、議員自身の発想も時代の変化に合わせて根本から改める必要があることは言うまでもない。アメリカにしても、ラテンアメリカにしても、二元代表制の改革での鍵は議会の復権であった。

(※)地方分権という言葉が、国から地方への権限移譲を表していると解釈できるとすれば、地方分権が実施さ

  れた後の地域政治のあり方は地方主権の時代ということができるのではないか、という意味で区別します。 

 

<参考文献>

(1)「公共を支える民」2001年寄本勝美編著 コモンズ 第3章 地方議会と住民投票制度

岩崎恭典 P72 P73

(2)同上

(3)「福沢諭吉全集 4巻」、および「地方自治法」金子芳雄1997年 成文堂 第1章地方分権の誕生p1〜6

(4)「地方自治法」金子芳雄1997年 成文堂 第1章地方分権の誕生p1〜6

(5)前掲 岩崎恭典 P74 官吏の首長が議会に超越的であった府県と違い、 首長の選任に議会が主導権を握った市町村では議会の甚だしい腐敗が生じた。同様の道を歩んだアメリカの場合、市政改革運動が展開されて『政治と行政の分断』が真剣に議論され、シティーマネージャー制度を生む。

(6)国会をイメージして、調査権・意見陳述権を議会に与え、委員会制度を新設したくらい。

  更に、民主化を充実させたいGHQの意向も受けて、地方自治法に直接請求の仕組みが取り入れられ、(条例制定の改廃請求、事務の監査請求、議会の解散請求、議員・長の解職請求)ここから間接民主主義制度と直接民主主義制度の並立状況が生まれる。/(前掲 :岩崎p75)。

(7)(1947年第一次改正 : 議員定数増加禁止、予算増加修正権の明定、百条調査権の強化など。

1948年第二次改正 議会議決事件の追加・整理、議員と長の兼任禁止、議会の特別多数決(拒否権)

            都道府県議会への事務局の設置など。

(8)前掲 岩崎 P75〜76

(9)アメリカの大統領は国の元首、行政府の首長のほかに、外交の最高責任者、軍の最高司令官としての重要な役割を担っており、これに加えて、官吏任命権や条約手帰結権などを通じて、多くの権限が集中している。

   「世界の政治改革」藤本一美 1992年 アメリカの政治改革 P10

(10)前掲 同P29

(11)ラテンアメリカを中心にアメリカ型の大統領制を採用した国は約30ヶ国あるが、その全てが行政府と立法府との対立から行政府による権力掌握、独裁制へと進むシナリオを経験してきたという。(Bruce Ackerman.”The New Separation of Powers”, Harvard Low Review, vol.113, no.3,2000.,p646

     「岩波講座 自治体の構想4 機構」首長・議会・行政委員会」大山礼子 2002年 岩波書店、 P38

(12)「各国の地方自治制度」後藤一郎1973年 ラテンアメリカの地方自治制度 P

(13)「各国の地方自治制度」後藤一郎1973年 フランスの地方自治制度 第二章、P110

(14)「岩波講座 自治体の構想4 機構」首長・議会・行政委員会」大山礼子 2002年 岩波書店、P21

(15)同上 P23

    但し、2000年の分権一括法の改正により、96条一項に加えて「条例で普通地方公共団体に関する事

    件につき、議会の議決すべきものを定める事ができる」という項目が加わり、改善されている。

(16)「実務地方自治法講座5巻」1990年、八木欽之介 地方自治制度における議会の地位 p2

(17)前掲「岩波講座 自治体の構想4 機構」首長・議会・行政委員会」P30