自治制度演習

公共経営研究科

今泉 健

 

建築物の維持保全の実態

〜建築基準法に基づく定期報告制度の問題点〜

 

1 はじめに

 平成19年5月、大阪府吹田市の遊園地「エキスポランド」において、ジェットコースターの死傷事故が発生した。建築基準法に基づく維持保全の検査をしていたにもかかわらず、事故は起きた。この事故の原因は、検査資格者が検査基準を誤り適正な検査をしなかったため、と言われている。現在、国はこの事故を受けて、検査基準の見直し、検査の厳格化等法改正を検討している。

過去を振り返ってみても建築災害・事故は多々起きており、その中でも、平成13年の死者44人を出す新宿区歌舞伎町雑居ビルにおける火災事故、平成18年の死者1名を出す港区公営住宅におけるエレベータ事故などは、社会問題になるほど注目を集めた。いずれの事故も、日常の維持保全の不備が原因と言われている。

一方、我が国の建築物の殆どは戦後の半世紀の間に建築され、その前半に建てられたものは戦災からの復興、高度経済成長といった、質より量が重視された時代に建てられており、その後のバブル経済の時代には、既存の建築物をスクラップ・アンド・ビルドすることが繰り返されてきた。しかし、近年はバブル崩壊とともに経済の低迷が長引き、合わせて地球環境問題、省資源・省エネルギー問題、景観保護等を重視する方向への進行も相まって、建築物もスクラップ・アンド・ビルドから建築ストックの有効活用(フロー化)へと大きく転換してきている[1]

また、近年首都直下型地震の切迫性が高まっており、地震時の被害想定が発表されている。それによると、東京都では大きな被害と経済損失が予想されている。つまり、日常の維持保全を適切に行っていないと、地震等の災害時に、大惨事や大事故に繋がる恐れがある。

以上の理由より、建築物の適切な維持保全の役割が注目されており、今後一層重要になってくると考えられている。そこで、建築物の維持保全を適切に推進し、建築災害・事故を未然に防止するには何を改善すれば良いのか。現在の維持保全に関する法制度の問題点を抽出し検討していきたい。


2 維持保全について

2.1 目的

維持保全の目的は大きく4つに大別される[2][3]

1)機能性の確保 (良好な状態に保ち、個人の快適な生活の水準を一定以上に保つ)

2)安全性の確保 (災害を未然に防ぐ。または災害時に、被害やそれに伴う経済損失を軽減し、財産・人命を守る)

3)省資源の達成 (老朽化を防止し、省エネルギー化を達成する)

4)経済価値の存続(資産としての価値の向上を図り、財産として保全する)

 

2.2 必要性

あらゆる製品には維持保全が必要である。その理由は、製品はある目的・機能を持つものであり、かつ、様々な負荷を受けて劣化する。そのため維持保全なしにはその目的・機能の達成が困難になる[4]

特に建築物の場合は、火災などの事故が発生すると、周辺に与える影響が他の一般的な製品よりはるかに大きい。建築物単体の機能性を維持し、建築物の利用者や周辺住民などの生命、財産の安全性を守る観点からも、建築物の維持保全の必要性は非常に大きいと言える。

そして適切な維持保全を行うことで、以下の様な効果が期待できる。

1)安全性・機能性を確保でき、資産として維持できる(住民の視点)

2)良質なストックを確保することで街のスラム化防止[5]につながり、使用エネルギ

ーを抑えることで地球環境保護にもつながる(行政の視点)

※スラム化:数十年後には廃墟と化した共同住宅が乱立する恐れが指摘されている

3)事故や火災等のリスクの低減につながる(両者の視点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3 維持保全を担保する法律

維持保全に関わる主な法規は次のとおりである[6]

1)建築基準法(建築物の最低限の安全を確保する)

2)消防法(火災を予防し、災害による被害を軽減する)

3)建築物の衛生的環境の確保に関する法律(ビル管法)(公衆衛生の向上を図る)

4)エネルギーの使用の合理化に関する法律(少エネ法)(建築物から発生するエネ

ルギーを一定値以下に抑える)

上記の法律では、安全上、防災上、衛生上およびエネルギー上から確保しなければならない水準が示されている。法律では、建築に関わる部分(設計、施工)と施工後の建築物の維持保全に関わる部分の両面を規制することで、安全、防災および衛生面等の機能を確保することにある。

 今クールでは、建築物の安全性という観点から、「建築基準法に基づく維持保全制度(定期報告制度)」を取り上げる。

 

 

4 定期報告制度について

4.1 制度の趣旨

建築物等に要求されている諸性能を適切に維持保全することは、本来は建築物等の所有者、管理者又は占有者がそれぞれの責任によってなすべきものであり、行政などの公権力が介入する必要がない性格のものである。

しかし、建築物は利用している間に劣化する。また、公共性の高い建築物等の場合には、所有者等による維持保全の不備によって事故や災害が発生し、また被害が拡大するなどして第三者に危害を及ぼす恐れが大きいことから、その安全性について公権力が関与する必要性が生じる。公的関与を介在させ、建築物等の適切な維持保全を徹底させ、建築物等の維持保全の不備に起因する事故や災害の発生又は拡大を未然に防止することにより、所有者等はもとより利用者や第三者の安全を確保することが不可欠となる[7]

 

4.2 現在の法体系 

建築物の維持保全は、建築基準法第8条、第12条により規定されている。

1)第8条第1

全ての建築物の所有者・管理者等は、建築物等を常時適法な状態に維持しなければならない(自己責任による努力義務)。

2)第12条第1項、第3項(定期報告制度:民間建築物)

特に公共性・社会性の高い建築物等について、所有者が専門技術を有する資格者に定期的に調査・検査させ、その結果を特定行政庁に報告をさせる定期報告制度が定められている。

定期報告制度とは、特殊建築物(不特定多数の人が利用する建築物:百貨店、ホテル、映画館等)、建築設備(特殊建築物に付帯する設備:換気設備、排煙設備、給排水設備等)、昇降機等(エレベーター、エスカレーター等)の各々を定期的に調査・検査し報告する制度である。

定期報告の対象となる建築物は、公共性の高いもの、第三者の利用の多いもので、法令、政令で定める建築物、さらに特定行政庁が指定する建築物である。その対象建築物については、国が指定方針を示している。各自治体はそれに基づき、さらに地方の事情を考慮し、独自に対象建築物を指定している。東京都の場合は、東京都建築基準法施行細則に基づき指定している。

3)第12条第2項、4項(行政が所有する建築物等)

国、都道府県又は建築主事を置く市町村の一定の建築物等について、定期的な点検の義務が定められている。

4)第110条(罰則規定)

報告をしない、又は虚偽の報告をした者は、50万円以下の罰金に処することが定められている。

 

4.3 報告率の推移

平成13年度から平成17年度までの各報告率の推移を表1に示す。

各自治体は、報告率向上への取り組みを行っている。特殊建築物と建築設備に関しては、徐々にではあるがその成果が現れ始めている。(報告率向上への取り組みについては、「4.5 報告率向上への各自治体の取り組み」を参照のこと)

1 報告率の推移[全国平均%]

 

13年度

14年度

15年度

16年度

17年度

特殊建築物

54.1

56.6

60.2

59.1

60.2

昇降機等

93.1

93.5

94.4

91.0

93.6

建築設備

47.5

49.1

56.7

55.5

59.8

 

出典:建築災害 vol.350

 


4.4 制度の変遷

建築災害・事故、国会での議論(国土交通委員会)及び定期報告に係る法改正について、表2にまとめた。国会においては、建築基準法が国土交通省の所管のため、国土交通委員会において議論がなされている。

新宿区雑居ビル火災を受けて、平成14年、16年の国土交通委員会において、「定期報告率の低さ」、「罰則の適用件数」について指摘されている。それに対し国土交通省は、「定期報告率の低さ」については、@所有者、管理者の啓蒙を図る、A未報告物件への立入検査権限を強化する、B定期報告の認識を高めるために報告書を閲覧制度にする、と回答し、「罰則の適用件数」については、把握できていない、と回答している。平成16年には、先の回答(@〜B)を実現する具体的な方策を盛り込んだ法改正がなされ、定期報告制度の充実・強化が図られた形となっている。しかし、「罰則の適用件数」については、平成14年、16年と全く同じ答弁をしているが、その後件数を調査・報告している様子はない。つまり、国土交通省のずさんな対応が浮き彫りとなっており、そもそも国会が機能しているのかという問題も出てくる。

制度の変遷を見ると、建築災害・事故が発生した後、法改正(案)が国土交通委員会で議論され法改正に至り、規制が強化されている傾向がある。つまり、事故後の対応はされているが、事故を未然に防ぐといった観点からは、制度がうまく機能していないと考えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 制度の変遷

 

主な建築災害・事故

定期報告が取り上げ

られた、国会での議論

(国土交通委員会)

定期報告に係る法改正

昭和34

 

 

定期報告制度創設

昭和45

 

 

特殊建築物等調査資格者の

認定制度の創設

昭和47

大阪千日デパート

火災事故

 

 

昭和48

大洋デパート火災事故

 

 

昭和57

ホテルニュージャパン

火災事故

 

 

昭和58

 

 

対象建築物に事務所等が追加

平成13

新宿で雑居ビル火災事故

 

 

平成14

火災事故を受けて、「小規模雑居ビルの建築防火安全対策検討委員会」が発足

その後、委員会の指摘事項を受けて法改正に至る

 

「建築基準法の一部を改正する法律(シックハウス)

・完了検査率、定期報告率の低さについて

・罰金が過去何件適用されているかについて

・新宿の火災を受けて行った緊急査察後の是正について

 

平成16

自動回転扉に児童が

挟まれる事故

「建築基準法等の一部を改正する法律(建築物に係る報告・検査制度の充実及び強化等)

・自動回転扉の実態調査について

・既存不適格建築物に対する発動命令件数について

・定期報告率の低さについて

・罰金が過去何件適用されているかについて

・対象建築物の見直し

・既存不適格建築物に対する

勧告又は是正命令制度の創設

・建築物に係る報告、

検査制度の充実及び強化

(@行政が所有する建築物の定期点検の義務付け

A報告徴収の対象に、定期点検等を行った一級建築士等を加える

B違反是正命令のための、建築物等への立入検査権限の付与、

C定期報告の閲覧制度の創設)

平成17

・兵庫県がアスベスト

健康被害を公表

・中央区のオフィスビルの

外壁落下

・宮城県沖地震による

スポーツ施設の天井崩落

・構造計算書偽装事件

 

 

平成18

・港区の公営住宅の

エレベータ事故

・愛知県の県営住宅の

ベランダ手すりがはずれ

転落事故

・兵庫県宝塚市の

カラオケ店火災事故

「建築基準法等の一部を改正する法律案(アスベストの飛散等)」

・エレベータ事故について

定期報告の対象に吹き付けアスベストが追加

4.5 報告率向上への各自治体の取り組み

東京都、名古屋市、大阪府、福岡県の取り組みを調査し比較を行った。

いずれの自治体も、文書による通知、所有者等の啓蒙活動等、報告率向上への取り組みを行っているが、抜本的な改革には至っていない。

◇東京都[8]、名古屋市[9]

1)未報告のものについては、2回送付時期を分けてはがきで報告を促す

2)過年度の未報告のものに対しては、督促通知(公文書)を送付

3)未報告で不特定多数が利用する建築物等については、年2回の防災査察時に現地で報告指導を行う

◇大阪府[10]

1)東京都、名古屋市の取り組みの(1)、(2)、(3)と同様

2)所有者等が聴講する防災に関する講演会等での説明

◇福岡県[11]

1)大阪府の取り組みの(1)、(2)と同様

2)維持保全に関する「安全・安心ガイドブック」を作成し、情報提供による啓蒙

 

4.6 制度の問題点

国会での議論、各自治体での取り組み等を踏まえて、制度の問題点を考えてみる。

1)法律はあるがそれが遵守されていない

(イ)法律自体が遵守させるには厳しすぎるのか?

制度上は、所有者に代わり専門資格者が、建築物を検査し、行政庁への届出・報告といった一連の手続きを行うため、所有者の負担は殆どない。また、検査項目が厳しすぎるとも考えにくいので、法律自体が厳しすぎるとは言えない。制度を分かりやすくし利用しやすくするなど運用面での改善の余地はあると考えるが、本来法律は遵守されて当然のものである。

(ロ)執行体制に無理があるのか?

行政改革の流れを受けて、各自治体も職員が削減されている。そのため、法律を遵守させるための体制が整っていないことが考えられる。しかし、適切な維持保全が行われないと、危険な建築物が放置されてしまうことになる。そのため、早急に人員を増強し法律を遵守させる体制を整える必要がある。

2)罰則規定が未適用

先の国土交通委員会での答弁からわかるように、法律で罰則規定はあるが実際には適用されていない。国土交通省が適用件数を把握していないのは、不自然であるし、国会での追及も甘い。未報告物件の所有者に対しては罰則を厳格に適用していかないと、逃げ得を与えてしまうことになり、法律を遵守している所有者との間で不公平感が生じてしまう。そのため、警察、消防と連携し、先の執行体制と同様、罰則を厳格に処する体制を早急に整える必要がある。

3)所有者、管理者の維持保全に関する意識の欠如

平成13年に新宿区歌舞伎町で起きた雑居ビル火災の原因の1つは、建築物の所有者・管理者の維持保全に関する意識の欠如と指摘されている。この火災は多くの教訓を残したが、その後も建築災害・事故は多発している。つまり、教訓は残っているはずだが、未だ多くの所有者は建築災害に対する危機感が薄く、日頃の維持保全の重要性を認識していない。第三者に危害を与える恐れのある建築物を、そのまま放置している所有者を野放しにしておくことこそ問題である。

4)検査を行う者の能力の確保

建築物等を検査する専門資格者は、建築法規に関する高度な知識が要求される。しかし、シンドラー社の検査資格不正取得や、吹田市ジェットコースター事故における専門資格者の検査基準の誤った認識など、近年モラルや技術の低下が懸念されている。

5)建築物等の捕捉(建築物台帳の整備)

建築物の維持保全を推進していくためには、台帳を整備する必要がある。しかし、その台帳が整備されていない現状がある。その原因は次のとおりである。

通常建築物が竣工した場合は法的な検査を受けるため、特定行政庁に届出がくる。しかし、確認済証を未取得の建築物(違反建築物)の場合、届出が来ない。また、建築物の所有者変更の未届け、指定確認検査機関からの報告の漏れがあり、対象建築物を捕捉することが困難になっている現状がある。

 

以上5点が、制度の根本的な問題点であると考えている。しかし、問題点を抽出した結果、法律を遵守させるなど、当たり前のことが徹底されていないことに気づく。これは、ある種行政の怠慢とも考えられるが、それらの改善策については次クールで検討していきたい。

なお、以下3点に付随する問題点を挙げる。

 

1)所有者のメリットとなることが少ない

法律を遵守する上で、メリットは無くて当然である。建築物の所有者にとって、定期報告を行うことで建築物の資産価値の向上、利用者の防災・安全を確保することは重要なことである。しかし、優良ビルには特例インセンティブなどを与えるなど、所有者にとって少しでもメリットがあれば、報告率の向上につながると考えている。

2)既存不適格の存在

当時の法律には適合していたが、現在の法律には適合していない建築物を既存不適格という。日本全国の住宅のストックは約5,000万戸だが、内3割の1,400万戸が既存不適格になっている。現在の法律では、増改築等の工事を行う場合、既存部分にも現在の法律が遡及してしまう。しかし、実際は既存部分を現在の法律に適合させることは、コストと手間がかかり現実には難しい。そのため既存不適格については、安全性の向上を図ること自体が困難であった。しかし、遡及の緩和が図られた法改正や、耐震改修促進法の設立により、既存不適格の是正に向け徐々にではあるが前進している。しかし、危険な既存不適格が多数存在していることに変わりはなく、これらの安全性を定期報告制度では確保できない。

3)中小規模建築物が報告対象外

対象建築物を一定規模以上に規定しているため、建築物棟数で圧倒的に多い中小規模建築物が対象外となっている。つまり、不特定多数が利用するそれらの安全性が確保されていない恐れがある。

5 まとめ

今クールでは、建築物の維持保全に関する制度の1つである、「建築基準法に基づく定期報告」を取り上げた。制度の変遷を見る限り、建築災害・事故の後に、法改正に至っているが、歴史は繰り返されており、災害・事故を未然に防止するには至っていない。そもそも、法律が遵守されていないことが抜本の問題であり、行政の執行体制を整えるなど他の問題点も多い。今後はこれらの問題点を検討することで、建築災害・事故を未然に防止する制度の解決案を導き出していきたい。

 

参考文献

[1],[4]BELCA 建物のライフサイクルと維持保全 BELCA

[2]田村 恭他 新建築学大系49維持管理 株式会社 彰国者

[3]飯塚 裕 建築維持保全 丸善株式会社

[5]橋本 正五 マンションのスラム化と維持管理 鹿島出版社

[6]中島 康孝他 地球環境時代の建築マネジメント 朝倉書店

[7] ()日本建築防災協会事務局(2007)、「定期報告制度について」、建築防災、Vol.3502-8

[8] 横山たみ子(2007)、「東京都における定期報告制度の現状」、建築防災、Vol.3509-11

[9] 二宮岳志(2007)、「定期報告制度の現状と課題について」、建築防災、Vol.35012-15

[10] 中川啓三(2007)、「大阪府における定期報告制度の現状と課題、そして今後の取組

について」、建築防災、Vol.35016-18

[11] 山本哲也(2007)、「定期報告制度の現状とその施策について」、建築防災、Vol.35019-22