イギリスの水管理組織の変遷から水法と管理組織について考察する
なぜ水道部門は民営化されることとなったか?
大学院公共経営研究科
45032008 深澤竜介
はじめに
2003年後期3クールでのレポートでは、水の持つ効用を総合的に活かすためには、水に関する上位法としての水基本法の制定と、水を総合的にマネジメントする組織が必要であるとの提言を行った。
今期のレポ−トでは、水法を制定し、総合的な水管理体制を敷いていたイギリスの水管理組織について考察する。私は、地域(流域)の水を総合的にマネジメントする組織として、水公社的なものをイメ−ジしていた。イギリスおいては、1973年の水法によりつくられた、全国の10流域管理庁において、河川管理のみならず、上下水道業務・水資源開発も行われ、流域の総合的な水のマネジメントがなされていた。いわば、この流域管理庁は、水行政組織の完成されたものであるといえる。しかしながら、流域管理庁は1989年の水法により、水道事業が民営化されることとなった。さらに、民営化されたからといって、イギリスの水道事業はバラ色になったわけではなかった。
そこで、本レポ−トでは、なぜ、理想的な組織であった流域管理庁は民営化されることとなったか?その原因を探る。また、その後の民営化の諸問題点とその背後にある要因を考える。この二点を分析することにより、水の総合的な管理組織のあり方及び水法を考察する際の一助とする。
1. なぜ流域管理庁の水道部門は民営化されることとなったか?
1.1イギリス水管理組織の流れ(別表-1 参照)
イギリスにおいて1930 年の土地排水法により、河川管理のため流域委員会(Catchment Boards)ができた。この土地排水法の概念の中には治水が入っており、できるだけ広域的な治水対策を行うため、流域委員会がつくられた[i]。
その後,1948年の河川委員会法により、34 の河川委員会(River Boards)が設置された。この河川委員会法は、上記土地排水法の土地排水(治水)の概念に、水質汚染対策・漁業(内水面漁業)対策の概念が加わった。河川委員会には、1951年の河川(汚濁防止)法により、排水条件(排水の性状、成分、水温、排出量)を付した許可権限が与えられた[ii]。
河川委員会が設立された背景には、行政区域と、河川流域の不一致があった。同一の河川について異なる行政団体が混在しているため、ある自治体が政策を実行したとしても、別の自治体で実行されることがなければ、その有効性が達成されないという事態が生じていた。一本の河川で、異なる水質基準を策定する、いわばパッチワ−クのような管理体制となっており、政策が有効に機能していなかった。そこで、水資源の涵養、管理、組織化を諮問する中央水諮問委員会は、「河川流域の管理に責任を負うべき全ての既存の団体の機能を統合する河川委員会の設立を勧告した[iii]。
20世紀前半の水質保護の概念に加え、水資源の保護も重要な政策課題と認識され、1963 年水資源法が制定された。同法には地下水の汚染も規制対象とされている。この水資源法により、上記河川委員会に代わって、ダム等の開発を含めた水資源の開発を河川庁(River
Authority)を設立して行うようになり、34の河川委員会が27の河川庁となった[iv]。この1963年水資源法の特長は、次の一文に集約される。「水需要の発達は、地方公共団体の行政区域を超越するものであった。1963年水資源法は河川委員会の役割を、水資源の統制と計画とに関して、強化するものであった[v]。」(傍点松岡)
1973年水法により、河川庁は、総合的河川流域管理の実現を目指して、全国10ヶ所の流域管理庁[vi](Water Authority)に再編成された[vii]。流域管理庁は、それまで多数の団体が断片的に水関連サービスを運営していたものを同一水系・河川流域を所管区域とし、10 の公社に統合して水供給だけではなく下水処理や船舶航行等の水に関する業務を一元的に所管・管理する権限を有する機関である(傍点筆者)。流域管理庁の業務は従前の29の河川庁、157の水道業者、1393の下水道業者(主として地方自治体)によって行われていたものである[viii]。
「様々な公共団体の間での責任の分割が相互の利益の衝突を生んでいる(傍点筆者)。」という1971年の水諮問委員会の報告を受け、流域全体で、水を総合的にマネジメントすることがもっとも効率よく水資源の利用を達成しうるという原理に基づき[ix]、流域管理庁にこれだけ多くの機能が集中した。
1989年、従来の水法が改正された。同法により、独立の機関として位置づけられる全国河川庁(National
River Authority)が創設された。同庁は、水資源管理、水質汚濁管理、洪水防止、漁業、リクリエ−ション、自然保護、航行に関する権限を付与されている[x]。
また、この水法(Water act 1989)では、流域管理庁の株式を売却し、水道・下水道事業を民営化することも、決められた[xi]。これにより、全国10ヶ所の流域管理庁(Water Authority)の上下水道機能、資産、権限、債務が水サ-ビス会社(Water Services Companies)に移管された。
1996年に全国河川庁・環境省汚染監視部・環境省廃棄物担当課・自治体廃棄物規制部局などを統合して、環境庁(Environment Agency)が設置された。環境庁は、水管理(洪水防御、水資源計画、取排水規制、漁業、航行、レクリエーション、水質及び環境保全)の他、土壌、大気、廃棄物など広く環境保全に係る業務を担っている[xii]。
わが国の水を取り巻く主な法律と比較すると、全国河川庁の規制の範囲は、わが国の水道法、下水道法、水質汚濁防止法、河川法、水資源開発促進法にまで及んでおり、これ以外にも漁業法、文化財保護法、自然環境保全法の分野まで含んでいる。
ここまで、概観してきたように、イギリスの水管理組織は、自治体による区分ではなく、流域管理を目的に、組織されてきたことが大きな特徴である。
1.2流域管理庁の特徴
上記で紹介してきた組織の中で、1973年水法により、水行政の執行体制がなされ、流域管理庁が設立されたことは、大きなエポックメイキングな出来事であるといえる。そこで、ここでは、流域管理庁の特徴について論ずる。
流域管理庁の持っていた権限は、日本の組織に対応させると、河川管理者の役割,水資源開発公団の業務、各自治体の水道局・下水道局の業務、その他、水質規制ということで,都道府県知事が持っているような行政権限も有していた。さらに内水面漁業の育成等もあるため、漁業協同組合のような権限も有していた[xiii]。非常に広範な権限を持っており、流域における総合的な水行政を担っていた。
これだけ、巨大な権限を有していた流域管理庁の意思決定機関の構成員は、環境大臣によって任命される議長、農漁業食糧大臣により任命される二人以上四人以内の農業、土地排水または漁業についての経験及び実証された能力のある委員、地方公共団体から任命された委員、学識経験者からなっていた。また、環境大臣および農漁業食糧大臣により任命される委員の数は、地方公共団体によって任命される委員の数より少なくなければならないと、されていた[xiv]。
テムズ流域管理庁では、約3500箇所での取水(農業・工業・給水のため)と、約7000箇所での排水(産業用途・管理局自体の排水)を管理し、さらに、管理局が許可した漁業及び船舶の利用を所管していた。ある排水が他の給水を害しないよう、取水が河川の自然状態を危うくしないよう、河川をリクレ−ション利用する人々の享受を害さないよう規制管理していた。
このように流域管理庁が全ての水利用形態を支配し規制しているので、渇水などにも対応できたし、増加する水需要に対しても、最低限のコストで、規制の利用者に損害を与えずに計画を立てることもできたのである[xv]。
流域管理庁の財政状況は、全体のほぼ8,9割が下水道と水道事業によって賄われていた[xvi]。1980年のテムズ流域管理庁の経常収入を見ると、全体の収入が3
億4978 万5000 ポンド。当時の1 ポンド= 450 円のレートで計算すると,約1574 億円。この内訳は、下水道料金47.9%、水道料金38.8%、産業排水料金3.5%、取水料金(流水占用料)3.4%、土地排水賦課金(自治体からの治水負担金)2.9%等であった。
一方経常支出は、3 億4761 万7000 ポンド。主なものは、給与28.2%、利子21.5%、減価償却費10.3%、委託費8.3%、燃料電力6.7%、物品購入5.5%、税金5.3%等であった。投資支出は、8840万ポンドと規模に比較して少ない。
流域管理庁は、地方自治体や政治的理由により区割りされていた河川の行政区分が、源泉から河口までに至るまで主要河川の流域に基づいて区割りされ、公共事業と規制的機能が結合した理想的な水資源管理のモデルといえる。
1973年の水法により設立された流域管理庁は、地域(流域)の水を総合的にマネジメントする組織として、私自身が考えていた水公社的なものであった。
1.3イギリス水道事業の民営化
1979年にサッチャー政権が誕生し、巨額な財政赤字に苦しんでいたイギリスは、いわゆる「英国病の克服」に向け「市場原理の導入と小さな政府の実現」を目的として、さまざまな規制緩和や民営化を推進した。長期にわたって停滞していた経済状況の中、歳出を大幅に削減するとともに、公共部門の借入金を削減するために基幹産業は次々に民営化されていった。1979年の段階で、公有産業の国内総生産に占める割合は11%を超え、全労働力の8%(200万人)が従事していた。サッチャ−政府は、1979年の英国石油の株式の一部売却を初めとし、航空会社、港湾、北海油田と公有企業を売り出し、特に1984年ブリティッシュテレコムの株式売却額が40億ポンドに達したことを契機に民営化の勢いが増し、ガス、空港、鉄鋼、水、電気の諸産業の民営化のプログラムが作られていった。サッチャ−政府は、公共支出を削減するよりも、公共部門の借入額を削減することを緊急に迫られていた。いわば資金調達の窮余の策として民営化が行われた。民営化は、国営より民間事業者の方が事業をより効率的に運営できることに加えて、小さな政府に移行することで政府の支出を削減し、株式の売却による歳入増を期待したものである。上記のブリティッシュテレコムをはじめとする多額の株式収益は、結果として水道事業の民営化を促進した[xvii]。
1973年の水法により作られた流域管理庁は前述したとおり、取水・水道供給・下水処理・汚染の排除・水資源開発・涵養の多方面にわたる役割を有し、水の総合管理体制を確立していた。しかしながら、景気後退は、このシステムの財政的基盤に大きな影響を与えた。景気後退による水需要の伸び悩みは、供給量から明らかであった。また、水事業に関する資本的支出は著しく低下し、サ−ビスのレベルを維持する水資源管理を危険状態に向かわせていった。特に汚水処理においては、1974年には、9億ポンド近く支出されていたが、1985年には半分以下に落ち込んだ[xviii]。このことを象徴することが、1985年のテムズ流域管理庁事件である。テムズ流域管理長事件とは、4000万ポンドに及ぶ追加融資を返済するために、10%の料金改定を実施しなければならない状況におかれていたが、政府はそれを拒否したのである[xix]。
以上のような内的要因に加え、当時のヨ−ロッパ共同体(EC)の厳しい水質基準に適合させるための事業に対する国庫補助が、政府にはもうできないという外的要因も民営化を推し進めるきっかけとなった[xx]。
サッチャ−政権は、1984年の段階では、流域管理庁の民営化については、否定していたのであるが、テムズ川流域管理庁事件により、イギリス下院では財政料金問題に関して討議が行われ、住宅・建設大臣から民営化を検討する意見が示された[xxi]。
このような内外の要因から、水道事業の民営化は、避けられない状況ではあったが、政府は1986年7月水道事業の民営化を延期する決定をした。(それは政策の方向転換というよりは、選挙での集票を意識した単なるポ−ズにすぎなかった[xxii]。)しかしながら、選挙戦に勝ったサッチャ−政権は民営化方針を再度決定し、1989年に流域管理庁の水道事業の株式を売却するための水法が成立した。
1.4流域管理庁はなぜ民営化されたのか?
ところで、1.2で述べたように、理想的であった水管理組織(流域管理庁)の水道部門が、なぜ民営化されるようになったのか?その点について論じる。
上記1.3では、以下の二点が大きな要因であるとした。
・
イギリス国内の財政状況の悪化と資金調達の窮余の策として株式売却による民営化
・
景気後退による、水道事業システムの財政的基盤の悪化により、資金を設備投資にまわす余裕がなくなったこと(テムズ川流域管理庁事件・EC水質基準上昇)
これらのいわば、後ろ向きな要因に対して、1986年の英国政府白書は、民営化推進の前向きな推進理由として、以下の各点をあげている。
・
水道事業者が日常業務のマネジメントに関して政府の干渉や政治的圧力を受けることがなくなる。
・
公営企業に存在する資金調達面の制約(年度予算等)から解放される。
・
民問の資本市場ヘアクセスすることにより、効率的な投資戦略の立案が可能となり、コスト削減とサービスの改善がもたらされる。
・
同業他社との業績比較などで投資家の厳しい目にさらされることにより、水道事業者の経営改善が促される。
・
民営化の成果が利用者に還元されるように規制監督がおこなわれるので、住民は水道価格の低下とサービス改善という便益を享受できる。
・
自然環境保護のための枠組みをより戦略的かつ明確に示すことができる。
・
民営化されれば、海外でのコンサルタント業務等の幅広い商業的活動をこれまで以上に自由に行うことができる。
・
民間セクターから優れた人材やマネジメントノウハウを導入できる。
・
従業員の株式取得を通じて経営への参加意識が高まり、モティベーションの向上が期待できる。また、地域住民など幅広い層に対し株式取得の機会が開かれる。
河川の水質悪化が流域管理庁のサ−ビス効率の低下によるものであるため、民営化により、サ-ビス効率を上昇させる必要があることは理解できた。しかし、これに加えて組織が持っている根本的な問題が流域管理庁(Water Authority)にあったと考える。それは、「密猟者と番人」という言葉が端的に表している。
1988年環境大臣ニコラス・リドレイは民営化のための法律改正について次のように述べている[xxiii]。「規制は規制される事柄について財政上の利益を有するものによって行われるべきではない。環境特別委員会は次のように述べている。『番人は同時に密猟者となるべきではない』流域管理庁が規制と公共事業を一体として行ってきたことは大きな欠陥であった。汚水の処理と排出についての責任を負うものは、同時に汚染を制御し、自分の顧客を訴追する仕事を請け負うべきではない。この大きな進歩は、現在の体制に内在する弱点を補正するものである。現体制において、公有は真実を隠し、公衆の利益を守ることができなかったのである。」
また同じような趣旨ではあるが、1989年の貴族院においてケイスネス卿は次のように述べている[xxiv]。
「学生が自分の受ける試験を課し、かつ彼自身が答案の採点を頼まれるのとほとんど同じようなものである。我々の誰一人も密猟者をパ−トタイムの番人として雇うなど考えない。流域管理庁に対して、それ自体汚染源である時に、河川の取締りをお願いしている。そのような現行体制で最善の成果を期待することは、まぎれもなく不合理である。」(傍点松岡)
つまり、規制する側と、受ける側が同一人物であっては、成果が得られないのである。流域管理庁は、水の提供と水質汚染取締りという「密猟者と番人」の二つの機能を内包していたため、根本的にその組織のあり方自体に原因があり、一見、理想的と思えた総合的な水管理行政を行うことができなくなったのである。そのため、水質を規制する側と規制される側を切り離す必要が出てきた。 以上、流域管理庁のサ−ビス効率の低下による河川の水質悪化と、水質を規制する側と規制される側を切り離す必要があったため、水道事業が民営化されるに至ったのである。
2. 民営化の問題点とその原因
2.1 全国河川庁(National River Authority)と水道事業局(Office of Water Services)
上記の通り、1989年の水法改正により流域管理庁の水道事業が民営化され、全国河川庁(National River Authority)が創設された。全国河川庁の有する権限は、水資源管理、水質汚濁管理、洪水防止、漁業、リクリエ−ション、自然保護、航行に関してである。
全国河川庁の役割は、単に、治水とか水質管理ではなく、河川空間を広くとらえていることである。水法においては、自然の美と保全の推進、植物相動物相の保全、特に地質学的特徴の保全、考古学的、建築学的、歴史学的に意味のある建物や土地などの保全、ある計画が田園地帯・都市地域の美やアメニティに与える影響、そして、植物相・動物相、建物、土地などに与えるいかなる影響も考慮すること、等について規定されている[xxv]。
水道事業が民間企業へ移行されたことで、全国河川庁(1996に環境庁に改組)は規制者として、消費者の保護と水質の管理という機能を持ったことにより、密猟者と番人が別の人物が行うこととなったのである。
水道事業に関しては、水道事業局(Office of Water Services)が監督している。水道事業免許交付(25年間)・水道料金改定等の経済規制といった水道事業全般の管理監督を行っている。
2.2 民営化の問題点
ところで、イギリスにおいて、水道事業が民営化されたからといって、安全で安価な美味しい水の供給がなされるようになったであろうか?
1989年のサッチャ−政権による水道事業民営化により、各地の水道事業の運営は、民間企業に託された。しかし、経営破たんは手に負えなくなり、水道料金はうなぎのぼりに上昇し、一方民間企業は、株主への高配当や役員への高報酬が実施され、さらに水の品質は低下した。1990年代半ばにおいては、85%しか水質検査に合格していなく、漏水も多々あった[xxvi]。イギリス水道事業局の国民消費者センター(ONCC)の報告によると、1997年の水道会社に対する苦情が11,123件寄せられ、そのうち26%が料金に関するものとなっている。これは、毎年上昇し続ける料金の仕組みと、使用量に対応する請求金額に対するものである[xxvii]。
1999年ブレア政権になり、民間水道会社は水道事業局によって、平均12%の料金引き下げを強いられた。この結果、水道事業各社の経営状況は悪化し、いくつかの水道事業会社が、米仏独の企業に買収される事態に至っている[xxviii]。
イギリスにおける水道事業の民営化は、株式の売却を中心に実現し、結果として政府は財政的な収益は得ることはできた。しかしながら、水道料金の値上げ、水質の低下、外国企業による株式取得などの問題へと発展した。
2.3 非営利組織による水道事業
2001年5月ウェ−ルズの米国資本の市水道会社を、地元投資家によって設立された非営利事業体(責任有限会社Glas Cymru)が買収した。この非営利事業体は、@拠点をウェ−ルズに置くA安全な飲料水を提供する体制を維持するB非営利形態をとるため利潤を全て再投資にまわすCほとんどの業務をアウトソ−シングするD水道料金を下げ、利益を消費者に還元する、これらの点を前提に事業を遂行しているため、他の水道事業会社に比べて有利な条件で資金調達に成功した。
Glas Cymruが、安定重視、地元重視、顧客重視である一方、外国資本のまま国際的に事業展開を行っている水道事業会社も存在する。こちらは、成長重視、国際展開重視、株式市場重視といえる。インドネシアやトルコなど海外で水道事業の受託やコンサル業務を行うところもみられる[xxix]。
今後水道事業会社の形態は、従来の「成長重視、国際展開重視、株式市場重視」の方向から「安定重視、地元重視、顧客重視」の方向に向かっていくものと予測される。
2.4民営化における諸問題の原因
イギリスの水道事業は流域の総合的な公共事業体から市場優先の民間企業へ、さらには、民間の非営利の事業体へと変遷しつつあるといえる。
水道事業は大きな設備投資を必要とし、ある地域においては独占的な供給が可能な存在となる。そのため、一般的な事業を民営化する際の一番の効果である競争原理が働かない危険性を孕んでいる。水道事業の民営化後の料金値上げ問題は、競争原理が有効に働かなくなったことが大きな原因であろう。
民営化された10の水道会社は、水道の運営とメンテナンスを行うとともに、送水管や貯水池等のインフラも所有しており、鉄道・電力の民営化で採用されたインフラとオペレ−ション部門の分離とは異なる手法が採用されている。既存事業者の所有する送水管を利用して新規参入することも制度上可能であるが、安全性や水質維持の問題や水道取引メカニズムの構築の難しさもあり、電力、ガスや通信業界のような新規参入の事例はみられず、事実上、10社による地域独占体制となっている[xxx]。(傍点筆者)水道事業局は水道会社の収益性確保と独占問題の適切なバランスをどうコントロ−ルしていくのか?難しい局面に接している。
以上のとおり、水道の民営化における諸問題は、水道事業が地域独占体制となっているため、競争原理が有効に働いていないということが大きな原因であると考えられる。
まとめ
ここまで述べてきたように、流域管理庁の水道部門が民営化されることとなった原因は、サ−ビス効率の低下による水質悪化と、水管理を規制する側と規制される側を同一の組織が行う限界(密猟者と番人は同じ人間がやったのでは問題が発生する。)ということが理解された。また、民営化には競争がなくては有効に機能しない。という水道事業民営化の問題点が浮き彫りにされた。
水を総合的に管理する際の組織はどんな形態がいいのであろうか?今回の分析から、密猟者と番人は分ける必要があること、水道事業者は、非営利組織による地域密着型経営が有効なのではないかという点が推察された。
水事業を行う具体的な組織形態については、次回以降のレポ−トへの課題とする。
別表-1 イギリスの水管理組織の変遷
根拠法(年) |
組織名 |
権限 |
組織数 |
土地排水法(1930) |
流域委員会 (Catchment Boards) |
排水(治水) 河川管理 |
不明 |
河川委員会法(1948) |
河川委員会 (River
Boards) |
排水(治水) 河川管理 水質汚染対策 漁業(内水面漁業)対策 |
34 |
河川(汚濁防止)法(1951) |
|
排水条件(排水の性状、成分、水温、排出量)が追加 |
|
水資源法(1963) |
河川庁 (River
Authority) |
排水(治水) 河川管理 水質汚染対策 漁業(内水面漁業)対策 地下水汚染対策 水資源開発 |
27 |
水法(1973) |
流域管理庁 (Water
Authority) |
総合的河川流域管理 排水(治水) 河川管理 水質汚染対策 漁業(内水面漁業)対策 地下水汚染対策 水資源開発 水供給 下水処理 船舶航行 |
10 |
水法(1989) |
全国河川庁 (National
River Authority) ※1996に環境省の汚染監視・廃棄物担当部局等と統合され環境庁(Environment
gency)に改組 |
水資源管理 水質汚濁管理 洪水防止 漁業 リクリエ−ション 自然保護 航行 |
1 |
水道事業局 (Office of
Water Services) |
水道事業免許交付 水道事業管理監督 水道料金改定 |
1 |
|
水サ-ビス会社 (Water
Services Companies) |
上下水道 |
10 |
[i]吉永昌幸,1988,英国流域管理庁について,NIRA水研究委員会:第13章004
[ii]北村喜宣,1996,海と川をめぐる法律問題,財団法人 河中自治振興財団:122
[iii]松岡勝実,1995,イギリスにおける水の行政改革と関連諸法,水資源環境研究:79
[iv]北村喜宣,1996
[v]松岡,1995:80
[vi]Water Authorityの和訳については、水務庁(北村1996)水道公社(石上2001)等、訳者によって異なるが、「実際の業務を考えると,流域管理,流域の水循環すべてを管理しているのではないか」(吉永)ということで流域管理庁としているので、これに倣った。
[vii]吉永昌幸,1988
[viii]松岡,1995:81
[ix]松岡,1995:81
[x]北村喜宣,1996:121
[xi]神奈川県自治総合研究センター,2000,21 世紀を創る地域経営手法の研究〜地方公営企業を中心に〜:資料編
[xii]太田正,2001,水基本法の制定から統合的水管理の自治減へ,月刊自治研・第43巻通巻503号2001年8月号「特集 川を治める」:79
[xiii]吉永,1988;122
[xiv]建設省内水法研究グル-プ,1982,世界の水法-ヨ-ロッパ編ぎょうせい;68
[xv]松岡,1995:82
[xvi]北村,1996;122
[xvii]神奈川県自治総合研究センター,2000
[xviii]松岡勝実,1996,イギリス水法における最近の展開,富士大学紀要:第28巻第2号:131
[xix]野村宗訓,1993,イギリス水道事業の民営化,公益事業研究:第45巻第1号:31
[xx]世界における水道民営化の動向,水道産業新聞,1997/1/1
[xxi]野村,1993
[xxii]野村,1993
[xxiii]松岡勝実,1996:134
[xxiv]松岡勝実,1996:135
[xxv]吉永,1988;123
[xxvi]ジェフリ−ロスフェダ−,水をめぐる危険な話,河出書房新社:166
[xxvii]神奈川県自治総合研究センター,2000
[xxviii]植村哲士, 2003,英国民間非営利水道会社が示唆する第三の道,NRI Consulting NEWS 2003.3
[xxix]植村,2003
[xxx]植村,2003