自治制度演習(片木淳教授)

早稲田大学大学院公共経営研究科

安藤こず恵(45031003-8

課題

今回の都区制度改革による都から特別区への清掃事業移管の概要と問題点

 

<目次>

1.             はじめに―都区制度改革による清掃事業移管の概要―

2.             「ごみ戦争」による「自区内処理の原則」の芽生え

3.  「自区内処理の原則」のゆらぎ

4.             特別区清掃事業の現状

5.             「自区内処理の原則」の転換点

6.             結論―清掃事務移管による効果と今後の課題―

 

1.             はじめに―都区制度改革による清掃事業移管の概要―

200041日に施行された「地方自治法の一部を改正する法律」では、@特別区の「基礎的な地方公共団体」への法律上明確な位置づけ、A大都市地域の行政の一体性・統一性に配慮した特別区の自主性・自律性の強化、B都から特別区への事務の移譲、が実現した。この改正は半世紀もの間続けられてきた特別区の自治権拡充運動の集大成とも呼べるものであり、特別区にとっては悲願の達成であったと言われている。

特別区は、長年「都の内部的団体」として扱われており、都は特別区の存する区域において、府県としての「広域の地方公共団体」と、市としての「基礎的な地方公共団体」という2つの性格を併せ持っていた。しかし、今回の都区制度改革により、特別区は「基礎的な地方公共団体」として地方自治法に明記された。一方、都は特別区の存する区域において、「特別区を包括する広域の地方公共団体」として、@都道府県が処理するものとされている事務及び特別区に関する連絡調整に関する事務、A市町村が処理するものとされている事務のうち大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から都が一体的に処理することが必要であると認められる事務、を処理するとされた。

これにより、特別区と都は、大都市地域において「基礎と広域」という役割を分担することになり、特別区にはこれまで以上にそれぞれの地域住民の意向に根ざした区政を展開し、地域にあった個性的な政策を実行することが期待された。こうして基礎的自治体として住民に対して第一義的に責任を負うこととなった特別区は、都から清掃事業をはじめとする住民に身近な事務事業を移譲された。

200041日からはそれまで東京都の清掃局が行ってきた23区の清掃事業のうち、ごみの収集・運搬を各特別区が実施することとなり、各特別区は同年成立した「循環型社会形成推進基本法」の影響もあり、従来から行っていたリサイクル事業とごみの収集・運搬をあわせて行うことにより、循環型社会の実現を目指す体制が整えられた。しかし、焼却などの中間処理は東京23区清掃一部事務組合が行い、最終処分には東京都が設置・管理する最終処分場である新海面処分場、中央防波堤を使用することになった。また、各特別区及び清掃一部事務組合の連絡調整を図るために東京23区清掃協議会が設置された(資料1)。

 

特別区の主な清掃事業における役割分担

特別区

東京都

各特別区

東京23区清掃一部事務組合

・一般廃棄物の処理計画の策定

・清掃工場などの整備・管理・運営

・産業廃棄物に関する事務

・ごみ、し尿の収集・運搬・中継作業

・不燃ごみ・粗大ごみ処理施設の整備・管理・運営

・新海面処分場の設置・管理・運営

・ごみの減量化、再利用、資源化の促進

・一般廃棄物処理業の許可に関わる事務

・区市町村の廃棄物処理に関する支援

・分別収集計画の策定

・し尿投入施設の整備・管理・運営

 

東京23区清掃協議会

 

・各区のごみ処理計画作成の調整

 

(資料1):『東京二十三区清掃一部事務組合事業概要』および『清掃とリサイクル』より作成

 

2.             「ごみ戦争」による「自区内処理の原則」の芽生え

今回の都区制度改革における清掃事業移管に至る経緯は、1971年に起こった「ごみ戦争」にまで遡って考える必要がある。増え続けるごみ量に対して、特別区内の焼却施設が足りない現状を打開しようとした東京都は、1967年に杉並清掃工場の建設計画を発表した。しかし、杉並区では清掃工場建設に対して住民の反対運動が激化し、当時の美濃部都知事は都議会で「ごみ戦争」を宣言した。杉並区の住民反対運動は、長年ごみ埋立地とされ、ごみ運搬車の出入りによる交通渋滞、事故、大気汚染、悪臭などに悩まされ続けてきた江東区にとっては、「迷惑施設」を自区内に建設したくないという地域エゴそのものであった。怒りの収まらない江東区では、杉並区新宿区など杉並方面からの清掃車を区長や区民が道路に立って阻止するという手段をとったため、杉並区方面ではごみがあふれる事態となった。1971年、江東区東京都と他22区に「ごみ投棄反対に関する公開質問」を提出し、「地域でだしたごみはその地域内で処理する」という「自区内処理」を原則とすることを訴えた。東京都と他の22区はこれを受け入れ、これをきっかけに東京都は「自区内処理原則」を住民に対しても積極的にPRするようになった。廃棄物処理法には「自区域内からでたごみを生活環境の保全に支障が生じないうちに収集・運搬・処分する」という責任を定めてはいるものの、「地域内で処理を行う」という規定はない。しかし、この「ごみ戦争」をきっかけとして、廃棄物処理を地域内で行うべきだとする考え方が定着していった。裁判にまで発展した杉並区の清掃工場問題も和解が成立し、1982年に杉並清掃工場が竣工された。東京都はこの「自区内処理の原則」をもとに、各区の清掃工場建設を進めていった。

 

3.  「自区内処理の原則」のゆらぎ

こうして各区に定着してきた「自区内処理の原則」だったが、それまで増え続けてきたごみが減少するという事態に直面し、この原則はゆらぎ始めてきた。全国のごみ量が横ばいであるのに対し、特別区内のごみ量は、都が「TOKYO SLIM」と名付けてごみの減量やリサイクルの推進のキャンペーンをはじめた89年をピークに減少し続けた(資料2)。

(資料2):『23区清掃とリサイクル』より作成

 

ごみの減少という現実にもかかわらず、19949月に都と特別区が合意した「都区制度改革に関するまとめ(協議案)」では、特別区が「清掃事業のすべてに責任をもつことを基本」とし、「自区内処理の実現に向け、都の現行清掃工場建設計画を継承しつつその発展・展開を図る」とされた。そして、一般廃棄物の処理は、特別区が「収集・運搬・中間処理・最終処分に関する事務等のすべてに責任を負い、自己完結的な事業を行う」という徹底した「自区内処理の原則」を打ち出した。また、清掃工場が未整備の特別区では、自区内に工場が整備されるまで23区をブロック分けして、工場能力に余裕のある隣接区と委託処理協定を結ぶという協定方式の「地域処理」を行うとされていた。この「地域処理」は、あくまでも自区内処理を実施するための経過措置に過ぎなかった。

このように、協議案の時点では収集・運搬・中間処理・最終処分まで自己完結的な事業を行うことを目指すとされていたが、その後の「大気汚染防止法」や「廃棄物処理法」の施行令改正により、その状況が変わってきた。この改正では、ダイオキシン類の排出基準についての規制が強化された。一部の清掃工場はこの基準に適合しておらず、順次休止して改修しなければならなくなった。このため当初の方針を変更し、1998年の区長会において、「一般廃棄物の中間処理については一定期間共同処理する」ことが基本方針として合意され、2005年度までは暫定的に特別区からの派遣職員からなる「東京23区清掃一部事務組合」が共同処理を行うこととなった。2006年度以降は協議案に基づき、自区内処理の経過措置としての地域処理に移行する方向で話し合いが続けられた。

 

4.  特別区清掃事業の現状

現在特別区内には、プラントを更新している最中のものも含めると、可燃ごみだけで21の清掃工場あるが、比較的大きな区である大田区世田谷区練馬区1区内に23の工場を持つ一方、千代田区文京区台東区新宿区中野区荒川区6区は清掃工場を持たない。

現在の各区の状況は、大きく3つに分けられる。第一に、「自区内処理」をほぼ達成している区で、杉並区がこれにあたる。杉並区は人口比、収集量から算出した可燃ごみ量と工場の処理能力がほぼつり合っているため、他区にごみを搬送する必要も積極的に受け入れる必要もない。また、政策的に独自志向が強く、前述のように清掃事業に関するトラブルの歴史もある。実際、杉並区中野区から若干のごみを受け入れる以外は他の区からのごみを一切受け入れておらず、他区に搬入するということもしていない。第二に、清掃工場を持っていないため現在は他区へごみを運搬しているが、自区内に工場建設を求めている区で、新宿区中野区荒川区がこれに該当する。この3区は、地理的条件と周辺区のごみ処理能力の低さにより、周辺区でごみを処理することが難しい。特に、「ごみ戦争」の際に江東区にごみの搬入を拒否された新宿区中野区では、現在でも近隣の杉並区にごみを持ち込めず、江東工場がこのままの規模で存在するのかについても不安を持っている。また、収集コストは区で負担する必要があるため、ごみの運搬コストが嵩んでいることも、自区内に工場建設を求める要因であると思われる。第三に、自区内処理ではなく、当面は近隣区と契約を結んで地域での処理を行っていく方針の区である。このタイプは@自区内の清掃工場の処理能力が大きくごみを持ち込まれないと稼動しない区と、A自区内に工場をもっていない(あるいは工場を持っていても処理能力が低い)が近隣区との間で処理可能な区、の二つに分かれる。前者は江東区目黒区港区墨田区中央区北区が該当する。特に江東区では、引き続き減少傾向にあるごみ量により、近隣区だけでなく遠方の区からのごみも引き受けなければ清掃工場を稼動させられないという現象が生じている。後者は、清掃工場を持たない千代田区文京区台東区と、工場はあるが明らかに処理能力が不足している渋谷区江戸川区葛飾区足立区が該当する。このように、特別区に清掃事業が移管されたといっても、各区ではそれぞれ大きく異なる事情を抱えており、一つの原則を各区に徹底していくことは困難な状況にある。

 

5.             「自区内処理の原則」の転換点

しかし、ここにきて「自区内処理の原則」を見直す大きな転換点が訪れた。2003716日、特別区長会は総会において、23区全体の責任として相互に協力・連携してごみの中間処理体制を確保するとともに、新たな清掃工場の必要がないことを確認し、工場建設を求めてきた新宿区中野区荒川区3区に清掃工場を設置しないことを決定した。また、区長会では今後の特別区の中間処理のあり方は1994年の協議案にとらわれることなく改めて協議することを示し、「自区内処理の原則」や、そのための経過措置である「地域処理への移行」を既定方針とせずに進めることで一致した。この背景には、2002年に清掃一部事務組合がまとめた今後のごみ量予測による、「新たな清掃工場建設は現時点で必要ない」という検討結果があった。今回の区長会の方針は清掃一部事務組合に引き継がれ、この考えをもとに施設整備計画を見直すよう求めることとなった。

これは、30年続いてきた「自区内処理の原則」から大きな転換を図る決断であった。

 

6.              結論―清掃事務移管による効果と今後の課題―

 こうした決断は、東京都が清掃事業を一括して行っていたときには困難だっただろう。23区全体から、危機的な財政状況やごみ量の減少といった状況を考えれば、新たな工場を建設する必要性はほとんどない。それでも、東京都が清掃事業を行っていたときには、「自区内処理の原則」に基づく「11工場」という前提があり、他区とのバランスを考えれば、自区内に清掃工場建設を求める区に対して建設中止を表明することはできなかった。しかし、区長会で決定された「23区で協力・連帯」という前提があれば、自区内工場を要求してきた3区にとっても、工場新設の必要性は乏しくなる。特別区への清掃事業移管により、各区が自らの問題として清掃事業を考えることができたからこそ、「自区内処理の原則」に基づく工場新設という無駄な支出を避け、「23区で協力・連帯する」という方向性を導くことができたといえる。

 現在の清掃一部事務組合による中間処理体制のままでは、住民の意見を聞く機会も、自ら情報を発信する機会もほとんどない。たとえ住民が清掃工場に関して区役所に訴えたとしても、区と清掃一部事務組合は十分に連携がとれていないため、その声は全くといっていいほど届かないままである。これまでの方針を転換したからには、効率的、安定的でありながら、住民の声を最大限反映するために23区全体としてどういった制度を採用することが相応しいのか、引き続き慎重に検討していく必要がある。

「自区内処理の原則」が打ち出された30年前とは、財政状況やごみ量など、清掃行政を取り巻く背景は大きく異なっている。また、各区の規模、人口、歴史、住民意識などには大きな格差があるため、今後の特別区清掃事業は、地域の実情に応じた選択をするべきである。自区内処理を志向し、それが可能な杉並区は自区内で行い、清掃工場の処理能力が大きくごみが足りない区と、清掃工場を持たない(あるいは清掃工場の処理能力が低い)区は、お互い協力し合って地域で連帯した処理を行う。そうした地域に適合した選択こそが特別区の自主性・自立性を重視した政策であり、法律上明確に基礎的自治体と位置づけられ再出発を果たした特別区にとっては、相応しいといえるだろう。

 

文献一覧

一次資料

経済産業省『資源循環ハンドブック―法制度と3Rの動向―』(経済産業省技術環境局リサイクル推進局 2003

東京二十三区清掃一部事務組合『事業概要』(東京二十三区清掃一部事務組合 2002

東京二十三区清掃協議会『23区清掃とリサイクル』(東京二十三区清掃協議会 2002

特別区職員研修所編『特別区職員ガイドブック』(ぎょうせい 2002

東京都環境局ホームページ http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/ 

東京二十三区清掃一部事務組合ホームページ http://tokyo23.seisou.or.jp/

 

二次文献

杉本裕明「東京23区のごみ処理」『月刊ガバナンス5月号No.25/2003』:pp.90-92(ぎょうせい 2003

寄本勝美『ごみとリサイクル』(岩波新書 1990

「清掃事業の転換を決断」都政新報(2003718日)p.6

「清掃工場建設中止へ」日本経済新聞(朝刊)(2003719日)p.31