自治制度演習(片木淳教授)
早稲田大学大学院公共経営研究科
安藤こず恵(45031003-8)
課題
今回の都区制度改革による都から特別区への清掃事業移管の概要と問題点
<目次>
1.
はじめに―都区制度改革による清掃事業移管の概要―
2.
「ごみ戦争」による「自区内処理の原則」の芽生え
3. 「自区内処理の原則」のゆらぎ
4.
特別区清掃事業の現状
5.
「自区内処理の原則」の転換点
6.
結論―清掃事務移管による効果と今後の課題―
1.
はじめに―都区制度改革による清掃事業移管の概要―
2000年4月1日に施行された「地方自治法の一部を改正する法律」では、@特別区の「基礎的な地方公共団体」への法律上明確な位置づけ、A大都市地域の行政の一体性・統一性に配慮した特別区の自主性・自律性の強化、B都から特別区への事務の移譲、が実現した。この改正は半世紀もの間続けられてきた特別区の自治権拡充運動の集大成とも呼べるものであり、特別区にとっては悲願の達成であったと言われている。
特別区は、長年「都の内部的団体」として扱われており、都は特別区の存する区域において、府県としての「広域の地方公共団体」と、市としての「基礎的な地方公共団体」という2つの性格を併せ持っていた。しかし、今回の都区制度改革により、特別区は「基礎的な地方公共団体」として地方自治法に明記された。一方、都は特別区の存する区域において、「特別区を包括する広域の地方公共団体」として、@都道府県が処理するものとされている事務及び特別区に関する連絡調整に関する事務、A市町村が処理するものとされている事務のうち大都市地域における行政の一体性及び統一性の確保の観点から都が一体的に処理することが必要であると認められる事務、を処理するとされた。
これにより、特別区と都は、大都市地域において「基礎と広域」という役割を分担することになり、特別区にはこれまで以上にそれぞれの地域住民の意向に根ざした区政を展開し、地域にあった個性的な政策を実行することが期待された。こうして基礎的自治体として住民に対して第一義的に責任を負うこととなった特別区は、都から清掃事業をはじめとする住民に身近な事務事業を移譲された。
2000年4月1日からはそれまで
特別区の主な清掃事業における役割分担 |
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特別区 |
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各特別区 |
東京23区清掃一部事務組合 |
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・一般廃棄物の処理計画の策定 |
・清掃工場などの整備・管理・運営 |
・産業廃棄物に関する事務 |
・ごみ、し尿の収集・運搬・中継作業 |
・不燃ごみ・粗大ごみ処理施設の整備・管理・運営 |
・新海面処分場の設置・管理・運営 |
・ごみの減量化、再利用、資源化の促進 |
・一般廃棄物処理業の許可に関わる事務 |
・区市町村の廃棄物処理に関する支援 |
・分別収集計画の策定 |
・し尿投入施設の整備・管理・運営 |
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東京23区清掃協議会 |
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・各区のごみ処理計画作成の調整 |
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(資料1):『東京二十三区清掃一部事務組合事業概要』および『清掃とリサイクル』より作成
2.
「ごみ戦争」による「自区内処理の原則」の芽生え
今回の都区制度改革における清掃事業移管に至る経緯は、1971年に起こった「ごみ戦争」にまで遡って考える必要がある。増え続けるごみ量に対して、特別区内の焼却施設が足りない現状を打開しようとした
3. 「自区内処理の原則」のゆらぎ
こうして各区に定着してきた「自区内処理の原則」だったが、それまで増え続けてきたごみが減少するという事態に直面し、この原則はゆらぎ始めてきた。全国のごみ量が横ばいであるのに対し、特別区内のごみ量は、都が「TOKYO SLIM」と名付けてごみの減量やリサイクルの推進のキャンペーンをはじめた89年をピークに減少し続けた(資料2)。
(資料2):『23区清掃とリサイクル』より作成
ごみの減少という現実にもかかわらず、1994年9月に都と特別区が合意した「都区制度改革に関するまとめ(協議案)」では、特別区が「清掃事業のすべてに責任をもつことを基本」とし、「自区内処理の実現に向け、都の現行清掃工場建設計画を継承しつつその発展・展開を図る」とされた。そして、一般廃棄物の処理は、特別区が「収集・運搬・中間処理・最終処分に関する事務等のすべてに責任を負い、自己完結的な事業を行う」という徹底した「自区内処理の原則」を打ち出した。また、清掃工場が未整備の特別区では、自区内に工場が整備されるまで23区をブロック分けして、工場能力に余裕のある隣接区と委託処理協定を結ぶという協定方式の「地域処理」を行うとされていた。この「地域処理」は、あくまでも自区内処理を実施するための経過措置に過ぎなかった。
このように、協議案の時点では収集・運搬・中間処理・最終処分まで自己完結的な事業を行うことを目指すとされていたが、その後の「大気汚染防止法」や「廃棄物処理法」の施行令改正により、その状況が変わってきた。この改正では、ダイオキシン類の排出基準についての規制が強化された。一部の清掃工場はこの基準に適合しておらず、順次休止して改修しなければならなくなった。このため当初の方針を変更し、1998年の区長会において、「一般廃棄物の中間処理については一定期間共同処理する」ことが基本方針として合意され、2005年度までは暫定的に特別区からの派遣職員からなる「東京23区清掃一部事務組合」が共同処理を行うこととなった。2006年度以降は協議案に基づき、自区内処理の経過措置としての地域処理に移行する方向で話し合いが続けられた。
4. 特別区清掃事業の現状
現在特別区内には、プラントを更新している最中のものも含めると、可燃ごみだけで21の清掃工場あるが、比較的大きな区である
現在の各区の状況は、大きく3つに分けられる。第一に、「自区内処理」をほぼ達成している区で、
5.
「自区内処理の原則」の転換点
しかし、ここにきて「自区内処理の原則」を見直す大きな転換点が訪れた。2003年7月16日、特別区長会は総会において、23区全体の責任として相互に協力・連携してごみの中間処理体制を確保するとともに、新たな清掃工場の必要がないことを確認し、工場建設を求めてきた
これは、30年続いてきた「自区内処理の原則」から大きな転換を図る決断であった。
6.
結論―清掃事務移管による効果と今後の課題―
こうした決断は、
現在の清掃一部事務組合による中間処理体制のままでは、住民の意見を聞く機会も、自ら情報を発信する機会もほとんどない。たとえ住民が清掃工場に関して区役所に訴えたとしても、区と清掃一部事務組合は十分に連携がとれていないため、その声は全くといっていいほど届かないままである。これまでの方針を転換したからには、効率的、安定的でありながら、住民の声を最大限反映するために23区全体としてどういった制度を採用することが相応しいのか、引き続き慎重に検討していく必要がある。
「自区内処理の原則」が打ち出された30年前とは、財政状況やごみ量など、清掃行政を取り巻く背景は大きく異なっている。また、各区の規模、人口、歴史、住民意識などには大きな格差があるため、今後の特別区清掃事業は、地域の実情に応じた選択をするべきである。自区内処理を志向し、それが可能な
文献一覧
一次資料
経済産業省『資源循環ハンドブック―法制度と3Rの動向―』(経済産業省技術環境局リサイクル推進局 2003)
東京二十三区清掃一部事務組合『事業概要』(東京二十三区清掃一部事務組合 2002)
東京二十三区清掃協議会『23区清掃とリサイクル』(東京二十三区清掃協議会 2002)
特別区職員研修所編『特別区職員ガイドブック』(ぎょうせい 2002)
東京二十三区清掃一部事務組合ホームページ http://tokyo23.seisou.or.jp/
二次文献
杉本裕明「東京23区のごみ処理」『月刊ガバナンス5月号No.25/2003』:pp.90-92(ぎょうせい 2003)
寄本勝美『ごみとリサイクル』(岩波新書 1990)
「清掃事業の転換を決断」都政新報(2003年7月18日)p.6
「清掃工場建設中止へ」日本経済新聞(朝刊)(2003年7月19日)p.31